中学生の頃、テスト勉強を夜中までやっていました。
父親がトイレに起き、その後、私の勉強部屋のドアを開けました。
オヤジは、「人は寝るから生きていけるんだ。。寝る間を犠牲にして勉強するのは間違いだ。。」
と言ったのです。自慢するわけではないですが、オヤジは有名国立大学現役で合格してるんですね!
そのオヤジは、夜寝るべき時間に、ちゃんと寝て、合格したんだ。と思うと、
なんだかとても、心に響いてきたのです。
それまでは、寝る間も惜しみ、食事の時間も惜しむからこそ、人に勝てると思っていたので。。なるほど、大事なのは、勉強で良い成績を取る事ではなく、むしろよく寝る事。。よく食べる事なんだ。良い成績を取るのはそのあと。
逆だったなあ。。
その時に、自分の価値観の軸が出来た様に思います。
人は何かの為に、頑張っている時間以外を、意味のない時間と、考えがちなんですね。
しかし、今となってみると、意味のない、なんの役に立つか分からない様な事を、楽しめる事の方が、人として、正常な状態なのだと思います。
動物が可愛いのも、それが何の役に立つのか分からない様な行動を取るので、構えが取れて、脱力できる。。自然と笑顔になります。
笑顔とはそういう時に自然と出てきます。
電車の中で、赤ちゃんを見る、周りの人の何とも言えない笑顔。。
人は、意味のない時間を生きてる時間こそ、本当に生きてる時間だと思います。
本来意味など無いのです。
意味は、人間の大脳が、分かったつもりになりたくて、無理やり、後付けで、分析、解釈、言語化したものです。
本当の人の存在とは、意味になる前の、響きそのものです。
善と悪、 生と死が分かれる前の存在があるのです。
意味とは、一つだったものを、二つに分けた時に、その隙間を無理やり埋めようとするものです。元々一つであった存在に気づけば、隙間は無くなり、意味も無用になります。
意味ある時間を求めれば、求めるほど、人と人との間に、距離、隙間が生まれ、競争、比較、奪い合いが生まれると言うこと。
意味のない時間を、地球上の人が楽しめる様になった瞬間。。
それは地球が同時にアホになった瞬間であり、調和した瞬間です。