整体や、武術を習い始めると、耳が痛いぐらい言われるのが、考えるな、感じろ!ですね。私もブログの中で、知らず知らずのうちに、使っていました。
考えるな。とは、目に見える世界だけ見るな。。という事です。
感じろとは、目に見えない世界ごと、目に見える世界を見ろという事です。
以前ブログで、意識される世界、目に見える世界は、氷山の一角。
ほとんどが、海の中で見えない意識されないエリアであり、その見えないエリアによって、目に見える世界は、動かされている、運用されている。。という事です。
禅で、全身全霊で座れ。。とは、目に見えない空の世界ごと、目に見える色の世界を観ろ。。。見るのではなく観るです。観音様の観るです。感じろとか、耳をすませて聞けとか、目をつむって匂いを味わうとか、肌で感じるという方が近い言い方です。
見るとは、肉眼で見えてる世界だけを、すべてと思い、分析する側と、分析される側に分かれた世界。相対関係で、物事を見る目です。
氷山の海に出ている部分は、別々に見えますが、海の中では一つに繋がっているとイメージしてみてください。
全て自分であるので、分析する側もいなければ、分析される側もいないのです。
一つの存在であり、今ここしかない世界です。
だから、本当の事を知るには、分析、解釈ではダメ。。一部分しか見ていないのです。
目で見るとは、頭で分析、解釈する事です。
そしてその頭で分析、解釈した事が、全てだと思う誤った思考によって、自分をコントロールしようとする。。これが間違いですよ。。という 事です。
分析、解釈した誤った思考によって、自分や他人、環境までコントロールしようとするのが人間の欲望です。
意識的に自分をコントロールすればするほど、頭で、首、肩、腕、手指が、硬直してくるのです。それが酷くなると、鬱や過呼吸を通じて、全体を観る様促してきます。
頭は、身体細胞脳の、道具です。。身体細胞脳が主で、頭は従です。
逆だと思ってる人が多い。身体細胞脳は、見えない無意識のエリアまで、理解しているのす。それを頭という、目に見える世界への変電所で、肉体次元の働きに変換する道具です。自転車に乗れる様になるのは、身体細胞脳が、見えない世界まで理解して乗れる様になっているのです。。空気抵抗とか重心バランスまで、肌で感じ対応しながら乗れるのです。頭だけでは永遠に乗れません。
目に見える世界だけ、どんなに研究しても自転車には乗れないのです。
考えるなとは、考えない様にする事ではなく、全身全霊で、感じ取り、理解した事を、頭脳に変換させて、肉体次元を生きるという事です。
古武術においても、整体術においても、同じ事です。