友達同士なら、なんの問題にもならない事が、親子、兄弟など、血縁の近い関係では、泥沼になる事があります。
また、夫婦関係でも。。親戚やいとこのような、遠い関係ならなんの問題も起こらないのに、距離が近い関係では、とんでもないトラブルになる。
時には、恋人同士で、殺人が起きたり、親子関係でもそういう事が起きます。
何故でしょうか?
それは、距離が近い人には、人間は、自分の思い通りでいてくれる事を、過剰に期待してしまうからです。
特に、同じ屋根の下で、同じ生活を送る関係性では、他人は、自分にとっての環境と、同じです。
自分の部屋や自動車の内装を、自分の好みに改装するのと同様。。
同じ屋根の下に住み、または戸籍上、一生他人になれない人に対しては、自分の環境です。その環境が、例えば小物の様に、自分の好みで、買って飾ったり、捨てたりできれば自由なのですが、人間はそうは行きません。
でも、自分色になって欲しい。。自分好みの環境として在って欲しい。。
親のくせに、兄のくせに、弟のくせに。。男のくせにと、理想の型にはめようとし、その型にはまらない。。また理想に寄せない態度が許せない。。
求めた事に答えない。。期待に応えないことが許せない。。そこに囚われすぎてしまう。。近すぎて見えないのです。
近い関係ほど、それが酷くなり、お互いが求めすぎてる事に気付けません。
お互いが自分の思い通りになる事を期待し、そうならない事に苛立ち、攻撃的になります。あまりに近い関係すぎて、お互いちょっとだけ変えれば、反省すれば妥協点がある事も見えない。。
そんな状況になったら、もうどちらが悪いとかの議論に結論は出ません。
平行線です。。お互いが悪いのはお前だ。。と思って譲らないですから。。
そんな時は、一度、親子である事、夫婦である事、兄弟であることを離れて、いとこの様な、親戚の様な距離感で、半分他人意識で、距離を空けて付き合ってみましょう。
いとこや、親戚に、必要以上に求める事はありません。
または最近流行りのシェアリング。。同じ屋根の下暮らしてはいるが、シェアしているのであるから、お互いあまり求め合わない関係。。
求め合わない事によって、調和するという感覚を思い出す。
あえて丁寧語週間もいいかもです。
最近の若い子は、一緒に居て楽な相手を選ぶ傾向にありますから、もともと求め合わないので、トラブルになりにくい。。
ひと昔のカップルは、求め合う近い距離の、燃える様な恋を経て一緒になってるケースが多いので、一度求め合う基準にずれが起こると、トラブルが止まらない。。
大好きだった人を、殺す事になりかねない。。
若い子達は、昔の人から見ると、付き合いが悪い。。でも行きたくないから行かない。。そういう関係をお互いが受け入れられれば、お互いが楽でもあるという事です。
猫を飼ってる人は、猫がいつも期待に応える訳ではない。。餌をやってるのに身勝手でもある。。それを許し、受け入れて可愛がっていると思います。
そういう距離感が大事だと思います。