私達は肉眼で見た物を全てだと勘違いしてしまいます。。
しかし、肉眼というのは、騙し絵に、騙されてしまう程度の精度なんです。。
手品の仕掛けが見えない精度ですよね。
そして肉眼は、物事を静止画として捉えてしまうのです。。
だから、原因と結果という、静止した状態で物事を捉えてしまいます。。
これが囚われになっているのです。。
レントゲンで見れば静止して歪んでいる様に見える背骨も、実は、振動しながら揺らぎ、呼吸していますし、動かない様にっ立っている状態でも、動かない様にっ立っている為に、多くの筋肉が動いています。。
病名をつけらたとしても、それは結果ではなく、より良く生きようとしている途中の姿であり、この先があるのです。。途中の姿に病名をつけ、囚われている訳です。
生命は常により良く生きようと、動いています。。
今、肉眼で見えるものを、静止画でなく、動画を停止した状態だとイメージしてください。。
じゃあ、今、身体は何をしようとしているのだろう。。
なにをしようとする途中の姿なのだろう。。という思考に変わります。。
自分にとって嫌な出来事が起きた。。または起きそうで不安な時でも、それが動画であると思えば、それは、今の自分に必要な経験が来ただけだ。。と受け入れられるし、その嫌な出来事でもあるが、今の自分に確実に必要な経験であれば、向き合って、気づき、クリアした方が、次に繋がる。。と思えます。。
嫌な事が来る、来た。。と静止画で捉えれば、フリーズしてしまいます。。
そして思考も煮詰まる。。同じことをグルグル考え続ける。。
人間の苦しみとは、物事を肉眼で見た、静止画として捉える癖です。。
観音様の見るは、観るですよね。。
肉眼はあくまで、サポート役で、心の目で観る。。
それは、肌で感じるとか、聴くという感覚に近いのです。。
整体の現場でも、施術中には、肉眼はあんまり使っていません。。ボーッと見てます。
皮膚感覚、そして聴く感覚 昔のお医者さんが、お腹を抑えて、手の甲を叩いて、身体の中の音を聴いていました。。それに近い感覚です。
目で見ると、私とあなたを分けてしまうので、分析になります。
耳で聴くは、私とあなたを繋げて、共鳴するから観えるのです。。
肌感覚も同様です。。好きな人の肌に触りたくなるのも、繋がりたいからです。
静止画で見るのではなく、動きを見るのです。。聴くのです。感じるのです。
どう動いているのか、どう動きにくいのか、どう動こうとしているのか?
どう歪んでいるのかではなく、どう動こうとしているのか?です。
今、はいつでも静止画ではありません。。動画の途中です。。先があります。。
肉眼で見る世界は遅いので、止まって見えるのです。。
常に、今を、よりよく生きる為の、プロセスとして捉えれば、割と、どんなことでも、今、確実に必要な経験が来た。。来る。。受け入れて次につなげよう。。と思えますよね!
今日もテレビで、高校サッカーの全国大会で、負けた選手達が泣いていました。。監督が良いことを言っていました。
「今日の負けは悔しいが、お前たちのサッカー人生はまだ続くんだろー。今日の負けを活かして次に繋げる負けだ。。泣くな。。出れてない奴に失礼だろ。。」
こう言われれば、そうだ。。鳴くのは今日で終わり、明日からまたスタートできる。。と、思うでしょう。。いい指導者だと思いました。