私自身、父親が、高学歴であって、それで出世しやすい様子を、子供ながらに見ていたので、自分も国立大学に行くつもりでしたし、親もそれを希望していました。。
一応、国立大学に繋がる高校に入学。。したのですが、入学して間もなく、隣に座っていた男の子が、もう国立大学の赤本を、勉強していたのです。。
その時の記憶は鮮明です。。とてもショックを受けたのです。。
何にショックを受けたのか、その時はよくわかりませんでしたが、時間と共に、何にショックを受けたのかが見えてきました。。
俺も、またこうして流されていくのか? と思ってショックを受けたのです。。
こうやって 、また3年後の受験の為の毎日を過ごし、また大学に入れば、4年後の就職、一流の会社に入る事を目標にして、毎日を過ごすのか?
それが、俺にとっての正しい生き方なのか?
今がないのではないか。。今、する事、今しかできないこと。。を、自分で選択して生きる。。事の方が大事ではないのか?
それが個性を創るのではないのか?
文武両道ならいいのか? それも違うでしょう。。文武両道ができてる人の夢は医者だったりしします。。やはり、常に一番でいたいという欲望だと思うのです。
それは、自分を知った事にはなりません。優秀だと言われる人の方が、本当の自分を知るチャンスが少ないと思います。何をやらしても一番になれる人ですから。。
本当はもっと大事な役割を与えられているかもしれないのです。。全ての事に一番になろうとする事が、大事では無いのです。
また、隣の子のように、今から、大学の勉強をすれば、国立大学に入れるかもしれない。。しかしあえて、その生き方はやめて今、できる事、今しかできない事を選択し、生きていく。。それをしてみたい。。大学は行かなくてもいい。。
と、強い決断をしたのです。。。そして、大学受験に向けての勉強は、一切やめてしまいました。。極端なタイプなので、その決断以来、成績は、学年最下位も取ったことあるぐらいです。。クラス最下位は日常でした。
結果として、国立大学には入らない人生となった訳ですが、もし、あの時、隣の子同様、大学受験の勉強を始めていたら、国立大学に入学はできたかもしれないが、いま、ブログに書いているような、気づき、理解は得られなかった。自分を知らないままだった。と思うし、全然向いてない大きな会社で、また、昇級を目指していたかもしれない。。
学歴願望が強すぎて、今。。が見えていない状態。。今、やっておかないといけない事が、誰にでもある。。それをしないで、大人になってしまう。。これは、自分を知る事なく、大人になってしまう事になる。。
だから、能力は高いが、自分を知らない人たちが、上司になる事になる。。
これではバランスが取れない。。
だから、一流大学にこういう事を、悩む事なく、疑問を持つ事なく、入ったひとは、僕は、頭のいい人だとは思えないのです。。