心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

隙を見せ合う関係

隙を見せる人と、隙を見せない人。。どちらが尊敬されるか?

弱みを見せない。。愚痴をこぼさない。。努力を見せない人は、尊敬される人です。。正確には、でした。。

昭和はそういう人間になろうと、努力してきた時代です。。

自分がそういうタイプであろうが、なかろうが。。

しかし、現代では、それはもうしんどいのです。。

尊敬されなくてもいいから、弱みを見せたい。。見せれる場にいたい、愚痴をこぼしたい。こぼせる人と付き合いたい。。尊敬される為の努力は、したくない時代です。。

 

先日亡くなった野村克也さんは、隙を見せる人でした。凄い人でもあるが、ダメな人でもあった。。だから、愛されてきた人です。受け入れられていました。上司にしたい人ナンバーワンでもありましたね!今は、そういう隙を見せる人の方が、安心感があるのです。何故なら、自分も隙を見せていいと思えるからです。。

人と人の繋がりは、隙を通してつながるのです。。

隙を見せない様にする事は、繋がる事を拒否してるのと同じです。。

隙を見せても、受け入れられる環境は楽に違いない。不登校を起こすのは、隙を見せられない環境がしんどいからではないでしょうか?

 

これは、決して今の若者がダメになったのではなく、身体に正直になったのだと思います。もう人の目を気にして、自分を押し殺す生き方をしてまで、結果を出し、尊敬される人間になる。。という昭和の不動の価値観に魅力を感じないのです。。

 

もっと楽でいいんじゃないか? そんなに立派にならなくてもいいんじゃないか?

お互いがお互いの、強い所、そして弱い所を知った上で付き合う。。つまり隙を見せ合う関係性の方が楽だ。。

 

そういう「いい加減」の関係の方が、居心地がいいし、補いあえるし、いじめも起こりにくい。。今は職場に、仕事ができない人が居る場所がない。。昭和にはあった。

年功序列で、仕事のできない人も、昇進できた。。

今は居場所が家にしかないから、引きこもるしかないし、家の中でも、気持ちを理解してもらえず、世間体基準に照らし合わされ責められる。。追い詰められ、居場所を与えてくれない世の中、自分を人として評価してくれない社会が敵に見えてきて暴発するほか、発散方式がないのです。

人間には、能力のある人と、ない人が居る。。それを受け入れない時代だ。

それが、障害者はいない方がいい。。という思考にも繋がる。。

居候が受け入れられた時代の方が、隙のある楽な家族模様だったかもしれない。

 

今の若者の様に、忘年会スルーが、当たり前になってきたのも、もう、上下関係という、堅苦しい隙のない関係は勘弁という事だし、親子関係、特にお母さんと娘さんが、姉妹の様な感じで、買い物に行ったりするのも、同様の理由だと思う。。

昔ながらの親子関係は、しんどいと、親も子も思う訳です。

 

整体の現場でも、今の若い子は、昔の様に、歳上の人に対し、あまり敬語を使わない。。その意味がわからないようだ。

最初のうちは、違和感を感じ、注意したりしていたが、今では、年齢というものにあまり囚われない方が、仲良くできるよ! 楽しくできるよ!、という若者特有の、隙を見せ合う人間関係を提案されてるのだと感じ、最近は、じゃあそれでいい。。と思うようになったし、そう思うようになってから、若者の定着率が上がった。。

若い夫婦でも、結婚して初めて一緒に住んだりすると、自分のだめな所を見せられなくて、鬱や過呼吸になって、整体に来る人も多い。。

 

現代は、何もしなくても、例えば、キャッシュレスでも、何々ペイみたいなのが次から次へと出てきて、何がいいのか解らない。。理解できる前に、また新しい提案が来る。

それだけで、落ち着く間がない。。そういうとんでもないストレス時代なのです。

ですから人間関係ぐらい、もっと隙を見せ合いながら、楽に行きませんか? シェアリングが、成り立つのも、そういう若者の発想があるからではないでしょうか?

ダメなところも隠さずに、ある程度見せあい、許し合える関係。。緩い関係。

お互いそんなに立派じゃないし、立派になろうとしなくてもいい。。それでいいじゃない?という関係です。

あるがまま同士で、協力し合えばいい。。

そして、あるがまま同士だから、助け合う心が生まれる。。

そこに、本来の社会。。というものが生まれる気がするのです。