心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

オウム心理教の事

1995年3月 私も東京にいて、整体の修行中でした。

同じ路線を使って通っていたので、俺も危なかった?

 

オウム心理教とは、何だったのか? 僕なりの見解を述べさせてください。。

1989年 バブルがはじけるまで、日本は、高度経済成長を続けていて、日本中が大きな枠組みの中で、頑張ろう日本みたいに。。頑張り、努力し、我慢する事が日本を復興させる。。という神話というか、硬い価値観を、誰も疑わずに邁進してきた時代です。 

大量生産の名の下に、皆が同じ物を買い。だからブームを起きやすい。歌う曲も、みんな同じ。。それでいい時代でした。。皆が同じがいい。。安心だ。。という時代。

1億総中流社会。。何て言われてました。

 

それがバブルがはじけて、その神話が崩れた。。その頃から、花粉症が問題となり、物も売れなくなり、多品種少量生産に変わっていく。。時代。。価値観の転換期です。。

大きな枠組みがなくなった時代に、若者は、買う物も、生き方も自分で選んで行かなくてはならなくなった。。それと同時に、情報が溢れ出して、迷いが生まれた。しかし、親に相談しても、頑張る事しか提案してこない親に見切りをつける。。

 

アルマゲドンの恐怖もあって、不安しかない毎日。。鈍感では生きていけない時代に、身体は過敏になっていく。。アレルギー体質に変わっていき、過呼吸体質に変わっていった。。

そうなる必要があったのです。溢れる情報に適応する為です。

揺るぎない価値観、方向性がなくなりましたから。。

 

迷子が、交差点の度に、どちらに行こうか決めないといけない。。そんな追われる様な不安な状態。。誰か新しい方向性を示してくれる人はいないか? その方が楽だと。

 

高学歴の信者が多かった事が知られていますが、高学歴だからこそ、考え過ぎて、さらに不安を増していった若者が、オウム心理教の、新しい価値観。。方向性を示してくれる尊師に、惹かれていった気持ちは、同じ過敏体質の私にも、よく理解できます。

 

オウム心理教とは、過敏体質の若者の需要にバッチリ応えた。。最初の宗教団体だと思います。私が見るに、オウム信者はほとんど過呼吸の人達です。。

過呼吸の人とは、乖離状態になりやすく、現実を現実として感じられない。。

だから、非日常的な、スピリチュアルな世界に惹かれやすい。。宗教に惹かれやすい人です。

僕のブログを、面白い、安らぐ。。と感じる人も、過呼吸の人が多いですね。

僕のブログは、大丈夫中の大丈夫ですけど🙆‍♂️

 

自分の生きがいを見つけた、過呼吸、高学歴の若者達は、アルマゲドンから人類を救うという大義名分のもとに、自分達は、人類に為に働いている。。サリンを撒く事ですら、犠牲者は出るが、日本を救い、人類を救う手段として仕方ないのだ。。と言い聞かせていたでしょう。。

 

過呼吸の人は、我慢できる時間が短い。。だから、何年もかかる修行には耐えきれない。。

それまでの修行とは、我慢することでした。。それはできない。。苦手だ。。

 

しかし、オウム心理教では、大事な役職に、若者がついていましたね?

あれが、我慢が苦手な過呼吸の若者を惹きつけたと、思います。。

すぐに出世できる。。役職につける。。大事なポジションにつける。

やりがいがある。。楽しい。それと同時に、こんなに我慢もせずに、経営陣に加われる組織は、他にはない。。自分は、他の組織では通用しない。

だから、ここにしがみつくしかない。

ここにしがみつくには、この組織が存続しなければならない。。だからこそ潰せない。。

という、自分の居場所確保の、欲望が働き、尊師の間違いを指摘できなかった。。と推測します。または、尊師は、間違っていない。。と思い込もうとしたでしょう。

間違っているのは、自分の方に違いない。。と、思い込む。。思い込もうとする。。

そう思わせる雰囲気をつくる

そこが宗教団体にハマって止められなくなる、脱会できなくなる理由です。 

 

オウム心理教もそういう出世術を、取り入れていたと思います。。

だから、若者が集まったのです。。過呼吸の若者の、居場所だったのです。。

それでも、居場所としては成立していたとも言えるでしょう。。

今は、居場所もないから、引きこもるしかないのです。。

新しい居場所が必要です。。

 

まとめて言えば、バブル崩壊後の、過敏な不安な若者の心を見事に捉えて、洗脳しきった最初の宗教団体ということが言えます。。