呼吸が深いというと、多くの方が、吐く息が長くなる事。。だと考えているでしょう。。
確かにそれも一つですが、本当に呼吸が深いとは、吐く息と、吸う息の間、間が広くなる事です。。
私も整体施術中は、呼吸が静かに長くなり、吐き切った後、間があってから吸い出すのが解ります。
深い呼吸に至るには、意識的(緊張)から、真の集中(脱力)無心に到れば至るほど、呼吸は長くなり、間が広くなります。。
ここで真の集中と言ったのは、集中を誤解している人がいるからです。
本当に集中している時というのは、周りが見えなくなる様な状態ではありません。。
それは無我夢中ではあるが、集中ではないのです。
むしろ、周りがよく見えるのです。。肉眼では見えない物が見え始める。。
これは無心の目が出てくるのです。。心の目が出でくる。
時々、お客さんに「先生は身体の中が見えるんですか?」と聞かれるが、見えるというより観える。。感じる。。映り込んでくる。。という 感じ。。
本当の集中とは、肉眼の次元の壁。。意識的次元を超越する事です。。
それは、頭脳優先から、感覚優先になる事であり、意識的から無意識的になる事です。。
その時に必ず必要なのが、深い呼吸。。無心の呼吸です。。
無心の呼吸とは、長い呼吸という事よりも、吐き切った後、吸うまでの間が広くなる事です。。
この間。。こそ無心。。空なのです。。
仏教の色即是空空即是色。。
目に見える世界とは、空即是色から、間から生まれるのです。。
ですから、呼吸の間が広くなるという事は、無心であり、無心から生まれる。気。によって見える世界、物質世界が作られている次元に至るのです。。
お笑いでも、間がいいと、面白いし、笑える。。笑えるという事は、そこで脱力が起きているという事です。。
緊張状態では笑えません。。
間が悪い漫才師では、脱力が起きないから笑えないのです。。
間こそ、脱力装置。。呼吸は脱力装置です。。
脱力するからリセットされるのです。。
ダイソンの真ん中に何もない扇風機の如く、何もない空、、間から風が出てくるのです。。
私達は、間によって生かされているのです。。
見えている世界を見ても、真実は見えません。。
見えない勢いに生かされているのです。。
花が咲く前に、花が咲く勢いがあるのです
あっ、咲くなー。。という感覚があるのです。
この間。。を、資本主義社会では、無駄と言い、、その間を詰めてなくすことが、効率アップなのだとされてきました。。
手間ひまを否定してきました。。
手間ひまかけたお母さんのお弁当と、レンジでチンしたお弁当。。どっちが美味しいですか?
もう一度、間。。の広い、余裕のある社会に戻る時がくるでしょう。。
寝れない時に、数を数えるといい。。と言いますね。。
イーチ、ニー、サーンと、言ってみてください。。吐き切った後の吸うまでの間が広がりますね?
間を広げる呼吸で、無心に誘導しているのです。。
間が広い呼吸。。イコール無心です。