大きな病気になると、なんで、俺が、なんで私が。。と、自分だけ取り残されたような孤独感。。時には、世に中の、楽しそうな笑顔に嫉妬し、憎む事も。。
しかし、24時間テレビを見ていてもわかるように、そこを超えてきた人は大きい。。
それだけ大きなものを受け入れた、。
大きな心を生んだのです。
その大きな心は、自分の障害に対する囚われを手放したのです。。
受け入れたとは、囚われを手放したこと。。
人間の気。。というのは囚われた分だけ止まるのです、。淀むのです。。
川の中で淀み、水溜りになってしまった場所、。それが病気です。。
病気は囚われという、川の流れを堰き止める石です。。
一般の人がならない病児気なってるから不幸。。という囚われは、病気がなくなるのが幸福という事になります。。
それは、もし治っても、同じ病気をもつヒトを見た時に、かわいそう。。と、思うでしょう。。
その人はかわいそう。。と、思われたでしょうか? 同情されたいでしょうか?
障害のある人は、同情されたいでしょうか?
障害のある人は、障害が治ったら幸福。。という 考えを持ち続ければ、永遠に不幸です。。
障害は治らない。。治らないならば、そこに囚われる事はやめよう。。
そういう決断をする、、覚悟を決める瞬間があるのでしょう。。
その時、川を堰き止める石が、外れるのです。。
それは元気です。。気が流れ出します。。
元気が出るから、病期は治るのです。。
難病で苦しむ人。。病気画治るのが幸福だと考える前に、この病気にままでも、幸福なのだ。ーという事に気づく事が先です。。
それが、むしろ病気という水溜りを壊すのです。。
よく、癌で、余命を宣告された人が、死を受け入れて、覚悟を決めて、好きな事を始めた時、癌が消えたりするのは、癌への囚われが、余命を宣告された事によって消えたのでしょう。。
当院では、少数の人しかならない病気になってる人は。まず、このままでも充分幸福なのだ。。という事に気づく。。
そういう話をして、病気という囚われから、意識を外していきます。。
その方が、生命は動きやすい。。
という事は、治りやすいという事です。。
治るのか治らないかは生命にしか解りません。。
しかし、生命が治せる。。と思っているなら、生命の声に従って、施術していくのみです。。
難病ほど、病気を見ずに、生命を見ていきます。。
病気を見てしまえば、私がその難病に囚われて、きがながれないからです。。
難病ほど、病気を見ない。。
その方が治りやすい。。