心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

向かい合うのではなく、受け入れる

自分に不都合な事が迫って来た時、どんな選択肢があるでしょう。。

そこから目をそらす。。逃げる。。

もう一つは、真摯に向かい合う。。

 

この二つですよね?

でもね、もう一つ受け入れる。。があるんですね!

 

いつも言っています。。人生のコツは受け入れる事。。

受け入れるというと、向き合う事だと、勘違いされるので、今回は、向き合う事と、受け入れる事は違う。。と、申しておきます。。

 

例えば、クラス替えしたら、とても怖い子がいた。。

どうしますか?

 

出来るだけ接触しないように、目をそらす。。にげまわる。。

でも、この状態も、長期間は厳しいですよね。。

 

では思いきって、腹決めて、一か八か向き合う。。

ひょっとしたら喧嘩になるかも、でもその後仲良くなれるかも。。

 

しかし、この時の腹の決め方は、半端なく、なかなか出来る事ではないし、毎日、向き合う事はできませんよね。。

 

じゃあ受け入れるとは、どういう事でしょう。

その怖い人も、クラスメイトの1人である事を、心の中で受けいれる。。認めるという事。

それは、許す。。という  心でもあり、博愛でもある。。

 

どんなやんちゃな子であっても、クラスメイトの1人だと認める。。

いっしょにやって行こうね。。という気持ちになって、逃げるでも、正面から向き合うでもない、。

 

同じ方向、黒板を見て勉強している、仲間であり、同士だよね!

それは、受け入れるということです。。認めるということです。

近づきすぎず、離れすぎず、同じ方向を向いていれば、気分は悪くない。。

金八先生のクラスは、そんな感じでしたね!

 

やんちゃな暴れん坊くんが、クラスのみんなに、クラスメイトとして、受け入れられてる事を感じた時、どうなるでしょう?

 

暴れん坊ではいられないんじゃないですか。。

むしろ、クラスの矢面に立って、守ってくれる存在となるでしょう。。

 

人生の困難も同じです。。

病気も、心の苦しさもそうです。。

 

自分のヤンチャなクラスメイト。。同士です。。

病気から、目をそらすでもない。。病気と向き合い闘うでもない。。

病気を受け入れる。。認める。。クラスメイトとして、病気も僕の一部だよね。。

一緒に、同じ方向を向いて、学んでいこう。。

 

そう思えれば、病気という暴れん坊くんも、忘れた頃に、守ってくれる存在に変化するのではないでしょうか?

それが治る。。という事でしょう?

 

僕は、病気と戦う。。闘病という言葉が嫌いだし、間違えていると思うんです。。

 

病気というのは、罰でも、嫌がらせでもなくて、病気にする事で。治そうとしている。。死なないように守っている治癒力の一部です。。

一度病気という形にして、破壊しやすい形にしといて、元気な時に症状を起こして、炎症を起こして破壊する。。そして再建築する。。

病気で死んでいるのではなくて、病気になる事で死なないようにしている。。これが生命の真実です。。

皆さんは、病気にならなかったら、とっくに死んでる人が、たくさんいるはずです。

 

実は、クラスメイトだったのです。。同士です。

ならば、カウンター席に、横並びで座りましょう。。

お互いが、同じ方向を向いている状態が、一番共有感がある。博愛感があるでしょう。。

一体感がある。。

当院でも、僕と正面から向き合う時間は、ほぼないでしよ?

後ろから話しかける。斜め前から話しかける。。同じ理由です。。

 

二十代の時、最初についた整体の師匠が、病気も生命力が必要があって起こしてるんだ。。

死体に病気があるか?

また、伝説の整体師。。野口晴哉氏も、身体は勝手に病気になってくれる。。

むしろ、ありがたい事のように言います。。

 

病気にして、症状で治す。。

病気にするとは、万力で挟んで固定するような事でしょう。。

その方が破壊しやすいでしょう?

 

病気も症状も、僕はクラスメイトだと思ってやってますよ。。

だから、細胞が受け入れてくれる。。

当院が良く治る理由は、ここだと思っています。。

 

囚われなく観ることができれば、人間のシステムは完全なんですね。。

人間は生まれながらに完全形です。