自分に不都合な事が迫って来た時、どんな選択肢があるでしょう。。
そこから目をそらす。。逃げる。。
もう一つは、真摯に向かい合う。。
この二つですよね?
でもね、もう一つ受け入れる。。があるんですね!
いつも言っています。。人生のコツは受け入れる事。。
受け入れるというと、向き合う事だと、勘違いされるので、今回は、向き合う事と、受け入れる事は違う。。と、申しておきます。。
例えば、クラス替えしたら、とても怖い子がいた。。
どうしますか?
出来るだけ接触しないように、目をそらす。。にげまわる。。
でも、この状態も、長期間は厳しいですよね。。
では思いきって、腹決めて、一か八か向き合う。。
ひょっとしたら喧嘩になるかも、でもその後仲良くなれるかも。。
しかし、この時の腹の決め方は、半端なく、なかなか出来る事ではないし、毎日、向き合う事はできませんよね。。
じゃあ受け入れるとは、どういう事でしょう。
その怖い人も、クラスメイトの1人である事を、心の中で受けいれる。。認めるという事。
それは、許す。。という 心でもあり、博愛でもある。。
どんなやんちゃな子であっても、クラスメイトの1人だと認める。。
いっしょにやって行こうね。。という気持ちになって、逃げるでも、正面から向き合うでもない、。
同じ方向、黒板を見て勉強している、仲間であり、同士だよね!
それは、受け入れるということです。。認めるということです。
近づきすぎず、離れすぎず、同じ方向を向いていれば、気分は悪くない。。
金八先生のクラスは、そんな感じでしたね!
やんちゃな暴れん坊くんが、クラスのみんなに、クラスメイトとして、受け入れられてる事を感じた時、どうなるでしょう?
暴れん坊ではいられないんじゃないですか。。
むしろ、クラスの矢面に立って、守ってくれる存在となるでしょう。。
人生の困難も同じです。。
病気も、心の苦しさもそうです。。
自分のヤンチャなクラスメイト。。同士です。。
病気から、目をそらすでもない。。病気と向き合い闘うでもない。。
病気を受け入れる。。認める。。クラスメイトとして、病気も僕の一部だよね。。
一緒に、同じ方向を向いて、学んでいこう。。
そう思えれば、病気という暴れん坊くんも、忘れた頃に、守ってくれる存在に変化するのではないでしょうか?
それが治る。。という事でしょう?
僕は、病気と戦う。。闘病という言葉が嫌いだし、間違えていると思うんです。。
病気というのは、罰でも、嫌がらせでもなくて、病気にする事で。治そうとしている。。死なないように守っている治癒力の一部です。。
一度病気という形にして、破壊しやすい形にしといて、元気な時に症状を起こして、炎症を起こして破壊する。。そして再建築する。。
病気で死んでいるのではなくて、病気になる事で死なないようにしている。。これが生命の真実です。。
皆さんは、病気にならなかったら、とっくに死んでる人が、たくさんいるはずです。
実は、クラスメイトだったのです。。同士です。
ならば、カウンター席に、横並びで座りましょう。。
お互いが、同じ方向を向いている状態が、一番共有感がある。博愛感があるでしょう。。
一体感がある。。
当院でも、僕と正面から向き合う時間は、ほぼないでしよ?
後ろから話しかける。斜め前から話しかける。。同じ理由です。。
二十代の時、最初についた整体の師匠が、病気も生命力が必要があって起こしてるんだ。。
死体に病気があるか?
また、伝説の整体師。。野口晴哉氏も、身体は勝手に病気になってくれる。。
むしろ、ありがたい事のように言います。。
病気にして、症状で治す。。
病気にするとは、万力で挟んで固定するような事でしょう。。
その方が破壊しやすいでしょう?
病気も症状も、僕はクラスメイトだと思ってやってますよ。。
だから、細胞が受け入れてくれる。。
当院が良く治る理由は、ここだと思っています。。
囚われなく観ることができれば、人間のシステムは完全なんですね。。
人間は生まれながらに完全形です。