相田みつをの、有名な言葉です、
世の中では、自分の為に生きることが、エゴで、人の為に生きる事が善だと教育されてきました。
この間違いが、偽善者を量産し、世の中が、余計分断していくのです。
そして、騙したり、騙されたりするのです。
たしかに、自分の為だけに生きるのはエゴですよね!
じゃあ、人の為に生きるのは? 実はこれもエゴです。偽善です。。
何故なら、自分と他人を分けて捉えているからです。
自分だけの為にと思えば、他人を産み、あなたの為にと言えば、他人を生むのです。。
それは、他人事(ヒトゴト)を産みます。
見て見ぬ振り、知らないふりが生まれるのです。
そして、他人事を、わざわざあなたの為にやってやったんだから見返りよこせ。。
もらわなきゃ合わない。。こうなります。
自他分離すれば、必ず産まれる見返り欲を、キリスト教では戒めますが、自他分離感覚が問題なのであって、見返りを要求する事だけ戒めてもしょうがないんです。
それが、キリスト教信者が、偽善者ぽく見える理由です。。
他人のいる相対世界。。目に見える世界に囚われれば、横取りが始まり、横取りする為の邪(よこしま)な心が、誕生するのです。。これが欲望です。。タテシマで行かないと。
気の世界、見えない世界では、他人はいないのです。。
気で繋がって、常に影響を与え合う一体な存在です。。
だから、僕が整体で、触らずに、気の検査をしますよね!
あれは、お客さんと、僕が気で繋がっているから、自分の体で、モニターしながら、お客さんの体内検査ができるんです。
私とお客さんが、他人で、別々の存在なら、触らないとできません。。
小売店が、お客様の為に。。お客様のためと言いながら、毎日売り上げ確認しかしていないのです。
僕は30歳ぐらいの時、ヤマナカの2階を間借りして、本屋を経営したことがあります。。
ヤマナカは、チラシでは、お客様の為に。。と、書いてありますが、テナント会議という、月に何回か、ヤマナカの責任者と、各テナントのオーナーが集まり、会議をするのですが、話すのは、売り上げの話ばかりで、どうやったらお客様の為になるのか?なんて議題が出たことが一度もない。。
僕が、「いつも売り上げの話ですね!お客さんが喜ぶにはどうしたらいいのか?とか、話さないんですか?」
マネージャー「うん。。しょうがないよ。。商売だもん。。売り上げが大事だよ!」
これが人の為の正体です。。
勧誘と言われる営業もそうです。。自分の利益の為の親切(手段としての騙し)、親切の押し売り、。偽善です。
人の為と書いて偽りと読む。。
高校生の頃、ノイローゼが酷くて、勉強も手につかなくて、万年成績、クラスドベだったんですけど、母親が、「勉強しなさい、。あなたは中学の時、成績良かったじゃない。。やればできる子なのに。。あなたの為に言ってるのよ」
これが嫌でしたね!
だって、僕のためじゃないでしょう!と、喧嘩です。
お母さんの世間体が悪いから。。お母さんの心配事を減らしたいから。。
理解してくれて、言わなくなりましたけどね!
子供は敏感です。。
当院で、子供の相談をされるお母さんがいますが、あなたの為に言ってるのよ。。
は、やめてください。。
自分と子供を分けるのではなく、一緒に苦しんで、一緒に肩を組んで、同じ方向に歩いてください。。子供の問題は、お母さんの問題でもある。。
お母さんの勉強でもあるんです。。
昔見たテレビで、奥さんの介護をしてるお父さんが、何年も介護してるうちに、学ばせてもらってるのは、むしろ自分だった。。
この言葉は美しいですね。。
奥さんの為に介護していたのではない。。と気づいたのです。
自分の為に介護してるのだと。
そういう気持ちで生きる事。。これが自他を分けない私(和多志)という、全体の中の個である和多志で生きる事です。