人間的に向上するとはどう言う事でしょう?
どうしても私達が、人間として立派になる事。。向上しようとする事とは、世間的に尊敬される基準に寄せていく事。
近づけていく事だと、知らぬ間に勘違いし、自分らしく無い自分を演じはじめてしまう。。
そして、その演じてる自分が、評価、尊敬されてしまった場合。。
その周りの尊敬を失いたく無い。失うのが怖い。。
または、尊敬して、自分の様になりたいと、希望を自分に見いだしている人の期待を裏切りたく無い。。
その気持ちから、更に、自分を尊敬モデルで演じ続けないといけない。。
愚痴をこぼす事もできないし、弱音を吐くこともできない。。
そういう人生は、結果として、とてもしんどく、燃え尽き症候群になってしまいます。。
僕は、よくお客さんに言って頂けるんです。。
「先生は、心理カウンセラーみたいな仕事も、同時にやったらいいんじゃないか」
でも、僕は、自分でも、自分が、世間的に、尊敬される基準に寄せていませんし、軽蔑される要素も沢山持ち、それを隠さず、出しています。。
僕は、立派な人間になる方法を知りません。。
何が立派なのか解らないし、自分が立派ではないからです。。
でも、自然ではあると思うのです。。
僕が、当院で、整体をしながら、カウンセリングする内容は、むしろ、演じることをやめて、本当の自分らしさに気づき、それを出していく。。
その事で、離れていく友人もいるだろうし、逆に。自然なあなたに興味を持ち新しい友人ができる。。
そちらの友人が本物であるから。。
一時的に、演じていた自分に寄ってきていた友人が離れて行き、孤独になる一時があることを覚悟すればいいんです。。
これは、僕自身の経験で、高校一年までは、僕は、人の目が異常に気になり、嫌われない様に、気に入られる様に、演じていたのです。。
それに疲れたんですね。。
それで、高校一年のある日。。
「俺はもう、俺らしく生きるんだ。。自分が正しいと感じた生き方を貫いていく。。それで嫌われたり、人が離れて孤独になったとしても、こんなに人の目を気にしながら生きるよりは楽だ。」
すると、「最近、お前は面白くないな」
と、人が離れていきました。。
やっぱりな。。でも仕方ない。
でも楽だな。。この生き方は。。
それを続けていくと、その潔い、覚悟を決めた生き方に、興味を持つ、新しい友人ができていったのです。。
その瞬間から友人になった友達は、親友と呼べる、ありのままを認め合う関係となり、とても楽な関係です。。
演じる必要がないからです。。
人生は螺旋階段でも説明した通り、運命とは、本当の自分に気づかせる仕組みで一杯の螺旋階段なのです。。
それは、3歩進んで2歩下がる人生とも言えるのです。。
人生とは、向上するとは、偉くなったり、勝ち組になる為の道ではなくて、本当の自分らしさを知る道なのです。。
それには、3歩進んでは2歩下がりながら、盆踊りの様に、ゆったり進んでいくのです。。
掃除や芝刈りに例えると解り易いでしょう。。
一直線に掃除、芝刈りしては、履き残し、刈り残しが生まれ、その分、自分を正しく知ることができないまま進んでしまう、。
だからある時、壁にぶつかり、八方塞がりになるのです。
そんな時は、2歩下がって、履き残しがないか、刈り残しがないか?再確認しながら、同じ道を歩くのです。。
落とし物を探す時と同じです。。
螺旋階段とは、同じ所を何回も通過しながら、自分の忘れ物を拾いながら進むのです。。
それは、本当の自分らしさという落とし物。。忘れ物です。。
立派になろうとしなくていい。。本当の自分らしさ。。という忘れ物を、何度も確認しながら進む。。
その為に、歴史は繰り返すのです。