ちょっと難しい内容です。。
クスリ絵を見ると痛みが取れる。。
その理由を、開発者がYouTubeで説明していた。。
なる程、その考え方は、生長の家。。という宗教団体の考え方とおなじだ。。
その宗教団体では、実相。。という言葉を使い、仏教的にいうと空の世界に、本当の私たちは生きて、生かされているのであって、その空の世界には、病気も、苦しみもない。。
という前提です。。
それはその通りです。。
完全に悟ってしまえば、苦しみも病気もないはずです。。
病気や苦しみは、肉体をまとった人間が、肉眼に見えるものが全て。。
と勘違いしてしまった事から、肉眼に見えるものは、全て10円玉の様に、裏表がある相対的世界です。。期待、希望があるら、落胆と絶望がある訳です。
二つに分けられる前の、実装の世界が、感得できれば苦しみは消える。。
物事を全て、幸福と不幸とか、勝ち、負けとか、期待と不安とか、右と左とか、全て相対的に捉えてしまうクセが、自分で苦しみや病気という幻覚を創っている訳です。。
だから、本当は、病気も苦しみも貧乏もない空の世界。。実相に住んでいる自分を強く自覚していけば、肉体次元の、相対的思考が消えていき、病苦も消えるという考え方。。
そう思い込もうとする。。でも、それは暗示であって、理解ではない。。
クスリ絵もそうです。。
でも、その宗教は、一時、すごく流行ったんです。。
でも。今は信者も減り、下り坂。。
何故?
とは言っても、病気も苦しみもあるじゃないか?
この思考を、無理矢理、実相には病苦は無い。。と、思い込もうとしても無理でしょ?
そこで信者が、この考え方では救われないと、離れていった。。
だってそうでしょ。。
現実は、病気も苦しみもあるんです。
それを、そんなもの本当はないんだから。。そんなものに囚われなければ、病気も苦しみもないんだ。。痛みなんかないんだ。。
わかりやすくいえば、熟睡時は痛みも苦しみもないですもんね。。
熟睡時は、皆さん実相に戻っている時間なんです。ハウスですよ。
正しい様な気もする。。
でも、肉体を持つ以上、囚われるんです。。そして、病気や苦しみは、悪いもんじゃなくて、ちゃんと神様が、悟りに必要なプロセスとして用意したものです。。
その病苦を、使って、本当の世界に気づき、私の元へ戻ってきてごらん。。
ライオンの親が、子供を崖から落とすような感じ。。
僕がいつも例で使う。。自転車の練習です。。
転ぶと痛い。。転ぶと怪我する。。
だから自転車に乗れる様になる。。
でも、クスリ絵や、生長の家の考え方ではこうです。
自転車に乗れない自分なんて本当はいないんだ。
最初から乗れるんだ、。だから転ぶ痛み、怪我なんか無い。。
ね。。じゃあ、生長の家の講師の方。。自転車転ばずに乗れましたか?
クスリ絵の開発者の人、。自転車に転ばず乗れましたか?
乗れないでしょう?
病気はある。。苦しみもある。。それを一度認めるんです。
でも、本当は無い世界に生きているらしい。
その事を転びながら繰り返し、苦しみ、病気しながら気づいていく。。理解していく。
自転車という、実相の自分に気づいていく道のりとして必要なものなのです。。
するとこうなります。。病苦は確かにあるが、そこには囚われる必要がない事を理解した。
それで充分です。。
肉体を持ちながらも悟っている人とは、癌であってもそこに囚われず生きられる人です。
だから、クスリ絵や、生長の家の様な、実相には病苦は無いんだから、その次元の波動の絵を見ていれば、実相に病苦などない。。と、自分に言い聞かせていけば、病苦がなくなる。。
という考え方は、正しい様で間違いなんです。。
神様は、必要の無いもの作るはずがない。。
ならば、何故病苦はあるのか?
何故、必要なのか?
そう考えていくと、真実が見えてくるのです。。
病苦でさえ、救いの姿のプロセスなのです。。
病苦を通じて、病苦の無い世界。。空を知るのです。
逆に、病苦が無ければ、悟れませんよ!