心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

作家、開高健さんに思う事。

 子供の頃よく見た。サントリーのCM

この曲が、小林亜星さんの作曲だったと知ったのは最近の事。。

 

そして、当時、サントリーのCMによく起用されていた開高健さん。。

この動画を見ると思い出すでしょう?

 https://youtu.be/DBzhhTzTXBY

 

子供の頃、一番かっこよく見えた大人が。開高健さんでした。。

 

僕の場合、僕の西城秀樹郷ひろみではなく、開高健さんだったのです。。

このコマーシャルでもそうですけど、一言も喋ってないのに、引き込まれていくこの目力と、雰囲気。。

 

カッコいい。。

今見てもやっぱりカッコいいですね。。

 

そして、この方は、僕の恩人でもある。。

高校生の頃。。ノイローゼだった事は何度もブログに書きました。。

 

そんな中で、人は何の為に生まれるのか?

人は何の為に努力するのか? そんな事を考えていたのです。。

 

その中でも、一番疑問に思っていたのが、人間は、純粋な状態で生まれてくるのに、何故、大人になるに連れて汚れていくのか?

 

これが最大の疑問だったのです。。

そんな中、テレビで、📺開高健さんが、インタビューに答えている番組があって、ちょっとよく覚えていないんですけど。。

「大人は爛熟する。」という表現を使ったんです。。

爛熟。。妙に響く。。

 

この爛熟という言葉で、大人になるに連れ、何故汚れていくか? 解ったのです。。

開高さんは、子供は純粋だが、それは本物ではない。。爛熟した大人の純粋さこそ、本当の純粋なのだ。。

という様な事を言っていた。。

なるほど、赤ちゃんは純粋だが、まだ泥の中に入っていないだけの純朴であり、大人になるに連れ、泥にまみれて汚れていく。。

最初は、その汚れを、環境のせいにして、開き直るが、次第に、自分の心が汚れているのは、環境のせいなんかじゃなくて、自分の心の在り方が間違えているからなんだ。。

と、気づき始める。。

それで、もう一度、自ら。泥を払い除けていく。。

すると、泥の中に在りながら。純粋である大人になっていく。。

 

それが爛熟した素朴さなのです。。

私達の人生とは。まさに、この爛熟した素朴さ。。を、、理解する道のりです。。

 

一度、自分で気づいて払いのけた泥は、もう二度と、自分に付着しないのです。。

それが理解、悟りです。。

 

お釈迦さんが、泥の中で綺麗に咲く、蓮の花の上に座っている姿。。

 

あれは究極の爛熟した素朴さの姿です。。

 

開高健さんの爛熟と素朴さ。。という言葉。。

これで、僕は救われた。。

何で大人は汚れるか?ではなく、一度汚れる必要があるのです。。

汚れてる事だけを、善悪で区別するのは間違いです。。

汚れているのは、爛熟する為に必要なプロセスです。。

 

ヤクザが、牧師になったり、NPO法人で、不良少年を預かり、更生させる施設をやったりする人がいます。。

あれは爛熟した姿です。。

爛熟するからこそできる事がある。。

 

爛熟という強さです。。

自分の子供が非行に走った事に嘆くにのではなく、非行を通して、爛熟していくそのプロセスを、見守ってやる。。待ってやる、、許してやる。。

そういう親の心の勉強でもあるのだと思います。

一度汚れないと爛熟できないのですから。。

汚れない様に育てようとする教育は、どうやら間違いの様です。

それでは、爛熟できません。

 

今を嘆く必要は無い。。これでいいからこうなっているのです。

今からスタートですから。。