心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

善に囚われず、悪に囚われず。

私達は、子供の頃から、良い人になりなさい。。と、教育されてきました。

しかし、中学生ぐらいになると、その反動で、悪い人。。が、格好良く思えて、不良になったり、暴走族に入ったりして、武勇伝を残そうとする。。

 

これは、私達が、善に囚われ、悪に囚われてるからなんです。

肉体次元は、目に見える世界。。

目に見えるものは、全て裏表があり、私とあなたは別々の存在である。。

10円玉を製造すると、必ず、裏表ができる。。

目に見える、つまり物質化するには、表と裏が必要です。。

だから、私達は、目に見えるもの。。その世界に囚われて、なんでも、二つに分けて捉えてしまうのです。。

 

見えないものに裏表はありません。。空気がそうです。。

でも空気がないと、私達は、3分も生きられないのです。

見えないものによって生かされているのです。

 

裏表がないから見えないのです。

でも在るんです。。見えないものでも在るんです。。

そして、見えない世界では、私達は、一つの世界です。。

そこには比較もなくなる。。

 

比較が無いという事は、本当は、善も悪もない。。

善人もいなけりゃ、悪人もいないのです。

 

幸福な人と、不幸な人もいません。。

目に見える世界がそう見える。。そこに囚われてるだけです。

 

心優しい人ほど、良い人であろうとし、同時に自分が良い人でない事を責めて、苦しんでしまう。。やった行動に後悔してしまう。。

 

逆に、反抗期を超えても、俺は良い人にはなれそうにないと、良い人になる事を諦めて、悪い事を、わざわざやって生計を立てようとする人がいる。。泥棒とか詐欺とか。。

プロレスでも、悪役で花開く人もいるでしょう? ダンプ松本とか。。

 

これも、善に囚われ、悪に囚われているからです。。

私達には、善と悪という基準があるのではなくて、あるがままか、あるがままでなかったか?です。。

 

良い人に囚われてもあるがままでは無いし、悪に囚われてもあるがままではないのです。

あるがまま。。とは、囚われが無い事です。

 

善にも悪にも囚われない、、

幸福や不幸に囚われない。。

成功、不成功に囚われない。。

勝ち組、負け組に囚われない。。

 

言い換えれば、目に見える相対世界に囚われない。。

言葉の世界に囚われないという事です。

 

言葉も囚われです。。

 

今、イスラム原理主義だとか、タリバンが、宗教の名の下に、人を殺したりします。。

でも、五大宗教と言いますが、本来全て、教祖は、同じ囚われの無い世界を、感得して、

それを、言葉にして、世の人に説明した。。はずです。

 

しかし、その言葉。。そこに囚われが生まれて、イスラム教。。キリスト教、仏教。。

全然違う教えになってしまう。。しまった。

 

 

でも、お釈迦さんもイエスさんも、マホメットさんも、見たものは同じなはずです。

言葉では説明できんのです。。

言葉とは、言の枝葉だからです。。

 

法律を、勝手に解釈変えるのもそうです、言葉は解釈の仕方で全然違うものになってしまう。。

 

だから、座禅が生まれ、念仏、題目が生まれたのです。。字に囚われるな、自分の胸に手を当てれば解る。。全ては自分の中に在る。。

 

見えない世界は、言葉では説明できないし、言葉で説明しても解るものでもない。。

 

ならば、考える事を辞めて、仏と、宇宙神と、全身全霊で繋がりなさい。。

そうすれば、頭ではなく、全身全霊で、感得して、理解できる。。

 

僕がよく、お客さんに、「先生は、カウンセラーもできるんじゃないですか?」

とか、ある人は、「身体はもう治ったので、カウンセリングで通いたい」

それをお断りしてるんです。。

 

それは、僕が、伝えたいことは、あるがままの世界。。

目に見えない世界の心だからです。。

言葉だけでは伝わらんのです。机で向かい合って、こんな話しても判る訳ない。。

整体を通して、身体に教えているんです。気の波動で。。

伝えているんです。

 

当院に通って、整体を受けてる人は、僕のブログに内容が、なんとなく理解できるんです。

それは、身体はもう解っているから。。それが頭脳に降りてきて、頭脳でも解るには、時間がかかるんです。

 

善に囚われず、悪に囚われず、自分の胸に手を当てて、時々、この心はあるがままか

この行いはあるがままか?

 

問うて見ればいいのです。

あるがままでないと気づいたら、反省して修正すればいいだけ。。

後悔する必要はないのです。。

 

自転車は転んで覚える理論です。。

間違えて覚えていくんです。

間違う事は許されているという事。。また間違う様に仕組まれているのです。

それを、どう反省して、次に活かすか。

そこが、決まっていないのです。