嫌なものは嫌だ。。
これを、心で思っていながら、言わない様にする事が、いい人だと思われている。。
でも、これはあるがままではないと思います。。
私達の症状、、病気というのは、そういう嫌なものは嫌だ。。という心を、自分の身体の中で抑圧し、溜め込む事で、邪気となり、その邪気を、排泄しようとする反応が症状です。。
症状を通して、排泄しようとしているのです。。
だから症状は、封じ込めてはいけないのです。。
症状を封じ込めてはいけない前に、自分の心。。本当はこうしたいんだ。。とか、本当は嫌でしょうがないとか。。
それを言わない事が、言わずに、自分が犠牲になればいいんだ。。
それが、日本人らしさだと思われてもいる。。
愚痴もこぼさない、、弱音も吐かない。。喧嘩もしない。。それが偉い人。。だと思われているから、なおさら、できない。。
しかし、これがあるがままでしょうか?
私達は、そんなに立派ではない事は、自分で皆わかってるはずです。
あるがままに生きるという事は、ある程度、わがままに生きる事でもある。。
もちろん、調和を無視して自己中なことばかり言うのは論外であります。
誰でも、悟りを開くまでは、荒削りな、自己欲望を抱えて生きている。
それが自然な姿です。。自然な姿そのままで生きること。。それがあるがままです。。
僕が若い頃はまだ、友人同士で議論して、それが行きすぎて喧嘩になる事もよくあった。。
しかし、そのあと、必ず仲直りできたのです。。
喧嘩するほど仲がいい。。
現代の方が、これは分かりにくい感覚ではないでしょうか?
今は、喧嘩する時、それは関係が終わる時、。と言う感覚が強いと思います。
何故。。今の人達は、僕が若い頃よりも、人を許す事ができない様になっている。。
許せないとは、待てない事であり、信じてやれない事です。
それは、自分自身を信じていないことでもあるんです。
例えば、メンタリストDAIGOが、youtubeで、差別発言をした。。
それが炎上して、吊し上げられ、徹底的にいじめる。。
僕の若い頃なら違ったと思います。。
「DAIGOは、そういう意味で言ったんじゃないと思うよ!反省してるんだし、許してやらないと。。俺達だって、似た様な事思ってるし」
という人も、何割かはいたのです。
クラスにも、職場にも、そういう人が必ずいた。。
喧嘩するほど仲がいい。。
とは、言い変えれば、お互いがあるがまま生きる事を許容しあっている。。
荒削り同士が、あるがまま同士で、調和して生きていこう。。
という事。。それは許容です。
自転車は転ばないと乗れる様にならない。。
これと同じで、私達は、人間関係でも転びながらでないと、真のあるがままの関係ができて来ないのです。。
だから、私たちは、表面上波風立たないのが平和だと、俺は本当はこうしたい。。
俺は本当は、お前のここが嫌だよ。と、ある程度言い合える関係。
これを、言い合える。。言い合えながら許容しあえる関係が、本当の良い関係です。
亡くなった無二の親友。
M君は、俺に、親友になって欲しい。。と、言ってくれました。。
そして、彼は言いました 「親友とは、言いにくい事も、言ってあげられる事だ。。
俺も、川村も、強面だから、誰も注意してもらえないだろ! それは良くない事だ。。
俺は、川村をこれから注意するし、川村も俺を注意して欲しい」
こういう約束があって、俺たちは、言いにくい事も、言ってやる事が、本当の友情なのだと。。やってきました、時には喧嘩になる。。
でも、必ず仲直りできる。。
そういう関係が、深い繋がりです。。
喧嘩するほど仲がいい。。
喧嘩ができるという事は、ある程度信頼関係ができているということでもある。。
だから喧嘩もできる。。