昨日は、肩の高さの左右差を見ると、おおよその性格が解る。。という話をしました。
正確に言うと、心の動きは呼吸の動きになり、呼吸の動きが、身体の動きになる。
その身体の動きを、繰り返していけば、その動きをしやすい身体になります。。
だから、身体の形を見れば、動きが分かり、呼吸が分かり、性格がわかるんです。
今日は、内弁慶と外弁慶。。
言い換えると、家族には親切だが、家族以外には冷たいタイプ。
逆に、家族には不親切だが、家族以外の人には親切。。
だいたいどちらかです。
両方できてる人は、悟った人ですから。。無為自然な人です。
それはソファーの座り方でわかるんです。
ソファーに座る時、電車の🚃ソファーに座る時でもいいです。
スマホを見ながら、極端に、股を拡げて座ってる人。。
逆に、股を極端に閉じて座ってる人。。
当然、女性は閉じているし、男性は開いている。。
ですが、僕なんかが見ると、この人は、股を拡げた方が集中できるんだなあ。。
という人と、この人は、股を閉じた人の方が、集中できるんだなあ。。
と、感じる人がいます。
股を閉じた方が集中できるタイプは、身内に優しく、外側の人には冷たい。。
股を拡げた方が集中できるタイプは、身内に冷たく、外側の人に優しい。。
自分の旦那は外面はいいが、内弁慶であるとか、旦那に不満を持った場合。。
旦那が、ソファーに座る時、極端に股を拡げる場合。。
それは生まれ持った内弁慶ですから、治らないのです。
治らないものを治そうとしたり、治してもらおうとするから悩み、不満、ストレスになるんです。。
無くて七癖。人間は、生まれ持った宿命とも言える癖を持っていて、それは死ぬまで治らないのです。。
悟れば消えます。。癖とは、悟れてない部分の心の影です。
影を相手にしても仕方がないのです。
その影を生む、自分の個性を発揮できていない心に原因がある。。そちらを見ていく。
それは、お互いに自分で気づいてないだけで、無くて七癖です。。
それをお互いが自分の思い通りに変えようとすれば、不仲になります。。
人生とは、思い通りにいかない事を、どう受け入れて、どう転換していくのか?
その力こそ呼吸力です。転換力です。
我慢や忍耐ではありません、。それは抵抗しています。
でも、そうか、生まれ持った宿命である癖もあるんだな。。
と、分かれば、じゃあしょうがないか!
と、許せるようになる。。
いつも僕が言う、あるがままに生きるのが1番。。と言うのは、お互いにお互いが、宿命的な癖を受け入れ、許しながら、それをお互いが補いながら生きていくのが、1番いいと思うのです。
それは、言い方を変えれば、完璧に生きようとするのでは無く、適当に生きる事。。いい意味でね。。
適当に生きてるからこそ、隙間が生まれる、間ができる。。
窮屈さがないですね。。
服でも完璧な採寸で作った服は着やすいでしょうか?
大きめに適当に作ってあるから、着やすいし、楽なのです。。
恋人関係、家族関係もそうです、。
会社もそう。。若者が、付き合いが悪いのも、適当な関係でいたいからです。
家族間に風が通るぐらいの余裕。。適当な関係、緩い関係が必要です。
それは、治らない癖は、許容するという心です。。
許容しながら、善に囚われず、悪に囚われず、淡々と、あるがままに生きていく。。
それが良い。
癖は、自分にもあるんですからお互い様です。
自分には無いとお思いですか?
完璧な家族関係は、窮屈です。。逃げ場がありません。。
完璧な親父、完璧な母親は、窮屈です。風が吹きません。
完璧な両親の子供の方が、ストレスなのです。
両親の自分に対する要求もでかいですから。。
ダメな所を見せた方が、家族は楽です。
学校のいじめも、窮屈すぎる空間の中で起こるんです。。
学校は、毎日同じ人と会い続けないといけないですから。。
あの狭い空間の中で。。