オフロードを車で🚗走り抜ける、ラリーレース。。
昨日テレビを見ていたら、ラリー選手がいい事を言っていた。。
「クルマを整備してくれているメカニックとの間に信頼関係ができてるからこそ、アクセルを踏み込めるんです。信頼関係ができていなければ、怖くてアクセルを、踏み込む事ができません」
これはいい言葉です。。
ドライバーは、悪路を、ラリーカーで、アクセル全開で走り抜ける訳です。ブレーキの調整が甘ければ、命を落としかねない。。
だからこそ、信頼関係が必要なんです。。
これは、僕たちの人生も同じです。
僕は、整体の最初の師匠。。この人の影響を強く受けました。。
この師匠はいつも言いました。。
「いつも同じ自分でいる事、つまり、人が見ていようが見ていまいが、いつも同じ行動を取れる人間になれ。。それは自分の為に生きるという事だ」
私達は、人の為に生きる事がいい事で、自分の為に生きる事がエゴだと思っています。
僕もそう思っていました。。
でもそうでしょうか?
人のために。。と声高に生きている人達は、人の為にやってっいますよ。。と、自分の行動を見せようとします。
つまり、人の見ていない場所では、手を抜く。。
人様から、あの人は人の為に頑張っているなあ。。と、評価される場面と、誰も見ていない場面では、違う人になる。。
国道一号線を、車で走っていて、信号待ちをしていると、教会があり、教会の職員が、庭に除草剤を撒いていました。。
人の為とは、偽(ニセ)とも読めます。。
この人は普段は、人の為に生きなさいと、言っているんでしょ。。
でも、庭の草は、除草剤で殺す。。おかしいですね!
では自分の為に生きている人はどうでしょうか?
人が見ていようが見ていまいが、自分の為に生きているのだから変わらないのです。。
自分の学びの為に生きているのですから。。
手を抜いているのがもったいない。。
よく、プロ野球選手が、努力は人に見せるものじゃない。。
と言いますが、これも同じです。
人に僕は努力してるでしょ!っと、見せる為に努力しているのではない。。
自分の為に、自分の学びの為に練習しているのだから。。
29歳の頃、自分で本屋を経営していたんですけど、アルバイト高校生の武くんに言いました。。
「俺がいる時は真面目に仕事をするが、俺が見ていない時は手を抜く様な人間になるな。。
それは俺の為に仕事をするんじゃなくて、自分の為に仕事をしろ。。いつでも同じ自分で仕事ができる人間になれ」
武くんは、よく理解してくれて、僕がいない時も、いる時も、自分の為に一生懸命仕事をしてくれました。。
何故わかるかというと、スーパーの二階でテナント借りてやってっいたので、他のテナントの人が教えてくれるんです。
「あんたのところの、高校生アルバイトは、あんたがおらん時でも、えらい一生懸命仕事しとるぞ!うちに欲しいぐらいだわ」
いろんな人に言われました。
僕の店は閉店してしまうのですが、武くんは、スーパーの人が、雇ってくれました。。
自分の為に生きる。。自分の学びの為に生きる人のが、結果。人の心を動かし、勝手に人を幸福にしておるものです。
いつでも自分の為に生きる事。。
それはいつでも手を抜かない人間になる事です。
そういう人がメカニックだといいと思いませんか?
車を整備してるところは見えませんから、見てないところでは手を抜く。。人の為に生きる人では、メカニックとして信用できない。。
誰も見ていないところでも手を抜かない。。
僕がそうでしょう?僕は手を抜きません。。
子供だけ預けて、買い物に行くお母さんがいますが、お母さんは、川村先生は、私が見てなくても、ちゃんとやってくれる人だ。
という信頼関係があるからです。
自分の為に生きる。。これは、自分の為だけに生きるとは違うんです。
そう思うから、逆の人の為に生きる事が正しいと誤解するのです。
人の為に生きてる私は偉いでしょ? と、評価されたいが為に行うのです。。
評価されない場面では、除草剤を撒いてしまう。。
本当に自分のために生きられる人は、同時に人の為にも生きているんです。
皆が、自分の為に生きる事ができる世の中こそ、信頼関係ができたいい世の中です。。
見てないところで、ゴミをポイ捨てする人もいなくなるでしょ?
偽物を販売する人もいなくなるでしょう。
手抜き工事にリフォームもなくなるでしょう。。
自分で自分を監視できるのだから。。
人の為とは、言い換えれば、自分の為と人の為を分けているのです。。
自分はどうでもいいが人の為なら頑張れる。。それは偽善です。
そういう人が偉い人だ。。それは間違いです。
自分の為と人の為がイコールである生き方。。それが今を生きるという事です。
それが調和を生むのです。