最近は、僕もそうだが、マスクしてる方が落ち着くみたいな感じ。。
帽子をかぶってる方が落ち着く人。。サングラスをしている方が落ち着く人。。いますが、まさか、マスクをしてる方が落ち着く。。メガネをしてる人に、外してみて!。。と言うと、恥ずかしがって嫌がるが、そう言う感じですよね。。
当院でも、本当は、呼吸を深くするのが整体であるから、最初のうちは、施術中は外してもらってましたし、僕もしていませんでした。。
でももう、そんな事も言っておれないと、マスクを許可。
僕もする様になりましたよね。。
最近は、新規のお客さんは、初めて来た時からマスクをしている訳で、しばらくして、マスクを外した顔を見て、えっ。。そんな顔だったんだ!
という事がありましたね。。
お客さんもそうでしょうね。。
僕が何気に外した時、えっ、そんな顔だったんだ。。と、思った人。。いるはずです。。
何が言いたいか?というと、私達は、一部の情報を得て、他の部分も想像して、または妄想して決めつけてしまう癖を持っていると言うことを、自覚しましょう。。
という事です。。
マスクをしていると、目元しか見えない。。
こういう目をしてる人は、こういう鼻と口をしてるんじゃないか?
妄想して決めつけてしまいます。。
これを人生の毎日でもやってしまっているはずです。。
仏教の禅では、松を松として観る。。という言葉があると思います。。
それは、物事に色眼鏡をかけずに、あるがままの目で、あるがままに感じ取りなさい。。
ということ。。
色眼鏡で見ているから、有頂天になったり、逆に落ち込んだり、一喜一憂するのです。
言い換えれば、冷暖自知。。という言葉。。
冷たい暖かいは、自分の肌で、確認して認知しなさいという事。。または自分の肌でしか解らない。。という事。
それをまた言い換えれば、知識でなく、肌で感じなさい。。肌で覚えなさい。。
という事。。
テレビのワイドショーの評論家を見てください。。
現場にも行った事ない人が、ネット情報の一部を見て、全てを知った様に、政治を批判しています。。
あれは恥ずかしい姿です。。
私達も、例えば初対面の人と出会ったとき、高卒なのか大卒なのか?
結婚してるのか、してないのか?
子供はいるのか?いないのか?
どんな仕事をしていて、どれぐらいの収入がある家庭なのか?
そういう情報を、簡潔に得て、あとは想像や妄想で、その人の評価を決めつけてしまいます。。
気の世界では、実は、皆繋がった一つの存在なのですが、肉体次元、目に見える世界では、別々の存在。。
自分の周りには他人が沢山いる訳です。。
すると肉体頭脳は、周りにいる他人がどんな人なのか、早急に知りたいのです。
知る事で、どういう風に付き合うのが安全なのか?
マニュアルが、経験的に出来上がっているからです。。
知らない人がいると、「あの人と誰?」と言いませんか?
一つの存在である事が感知できる人は、あの人が誰でも良い訳です。。
あの人は自分ですから。。
でも、肉体次元では肉体脳、肉眼は、あの人が誰なのか? まずは知りたいのです。。
知ることで、ほっとしたいのです。。
偉い人だと知れば、敬語で話しかけるだろうし、自分より地位の低い人だと知れば、上から話しかけても安全です。
周りにいる他人を、カテゴリーにはめてしまえば、それで相手を知った気になり、それ以上知ろうとしないのです。。
最近は、無差別殺人が増えていますが、あれも、周りの人に、カテゴリーにはめられ、誰にも興味を持たれない。。誰にも本当の自分を解ってもらえない。。
仲間はずれにされた気分です。
その寂しさ、孤独さ、。その延長上に、社会全体を敵視してしまう心理に至るのです。。
私達は、松を松として観る。。
その事をもう一度、初心に戻る事です。。
幼少期はそうでしたでしょう?
なんとなく気が合い仲良くなる。。
その子の親が金持ちだとか関係ない。。
ただ遊んでて楽しいから仲良くなった。。
そういう基本が大事です。一部の情報を知っただけで、人生を、または人を、こうだと決めつける。。
これは、結局は、自分が不自由なのです。。
これを知る不自由と言います。
知ることは、自由も不自由も産み出すのです。