私達は、常に、恐怖、不安を持って生きています。
それは、人間の大脳が発達しすぎて、今、目の前にある事を見ずに、ずいぶん先の事を考えて、期待して、予定してしまうからです。。
期待と不安。。期待と恐怖。。
期待するという事は、将来の何かに対して期待しているのであって、今ここに、心あらずです。。
将来の何かに期待した瞬間に、同時に不安という恐怖も持ち合わせるのです。。
金メダルを期待されたオリンピック選手は、金メダルを取れなかったらどうしよう。。
と、常に恐怖と戦っています。。
人間の身体の気の流れを一番澱ませるのは、恐怖の観念です。
人間の作り上た、標準幸福概念、またはそれ以上の幸福を期待し頑張る毎日。。
それが幸福になる事だと洗脳してしまってるんです。自分で自分を。。
その頑張りを止めた途端に、期待の裏側に潜む不安恐怖が、炙り出されるのです。。
だから頑張る事を止められない。。
頑張り続ける事は偉い事ではありません。。
頑張るのは、今、頑張るのです。
一所懸命なら良い。
将来の期待の為に頑張るのは、言い換えれば、将来の不安の為に頑張っているのです。
薬を飲み続けないと、血圧が上がるから止める事ができないのと同様。。
恐怖をかき消す為の手段。。それが、頑張る事。。頑張り続ける、止まらない上昇志向です。
そういう人を見ると僕は、「負ける事が怖くてしょうがないんだなあ。。負ける事も人生だと、受け入れて明らめればれば、もっと楽で、自分の本当の持ち味を活かして、今を生きる事ができるのになあ!」
と、思いますし、そういうお客さんには、こういう話をしますが、子供の頃から勝ち癖が強く、負けた経験、そしてその負けを受け入れた経験の少ない、いわゆる優秀な人は、僕の話を受け入れてくれません。。
努力を止める事が怖いのです。
それは努力依存症なのです。
こういう心の在り方は。不安定です。。
こんな話があります。
二匹の猿。。
一匹ずつ檻に入れる。電気が流れる檻です。。
一つの檻には、その電気ショックを止めるボタンがある。。
もう一つは、電気ショックを止めるボタンがない。。
さあ、どちらの檻の猿が、長生きしたでしょう。。
自分で止める事ができる、ボタンのある方?
そう思った方が多いんじゃないでしょうか?
実はボタンのない方の猿が、大幅に長生きしたんです。
ボタンのない方の檻の猿は、電気ショックが来ても、どうしようもないので、諦めて受け入れたのです。
そこで電気ショックが来たらどうしよう。。という恐怖が消えたのです。
しょうがないや。。またなんか来たで!
ボタンのある方の猿は、電気ショックが来るたび、ボタンで止めれる訳ですが、そのせいで、電気ショックを受け入れ、諦める事は出来なかった。。
つまり、電気ショックは常に恐怖として心に残り、怯えていたという事です。
癌だと宣告され、余命数ヶ月と言われた患者が、ならば残された人生を楽しみたいと、退院して、今を楽しんでいたら、癌が消えてしまったなんて話も同様です。
期待を捨てたら不安も消えるのです。
病気とは気が止む事です。。
気の流れさえ流れ続けていれば病気ではないのです。。
症状とは病気にならないように、気に流れの詰まりを抜く治癒力です。
症状はありがたいものです。
そして、気の流れを滞らす、1番の理由は、恐怖と感情の抑圧です。
つまり、人間は将来の標準幸福信仰のために、期待し、そして不安しながら頑張り続けているのです。。
頑張る事も抑圧なのです。
仏教で、今を生きること。。今、ここに在る。。ただ在る事がありがたい。。
が大事だという理由です。
将来を期待すれば、不安も生まれる、恐怖も生まれるし、将来の目標のために、自分の感情を抑圧、我慢し続ける。。
それらが症状を生み、症状でも気に流れが改善しないばあい、病気となるのです。
症状が出た時点で、自分は自分の心を抑圧し、恐怖し、将来に期待しすぎていないか?
思い直す、反省の時期です。
将来を考えすぎるから自己否定にもなるんです。。
それを、少しずつ、今ここに戻していきましょう。
それは運命を受け入れる事で、戻っていきます。
今に戻った分だけ、自己肯定感が増すのです。
なんだ。
これで良かったんじゃないか!。。と。
こう思う瞬間が一番気が流れるのです。
これでいいのだ。。