水前寺清子さんの歌で、三百六十五歩のマーチの詩はいいですね!
以前、3歩進んで2歩下がる。。がいい。。
というブログを書きましたよね?
その後にある詩もいいですねえ。。
「あなたのつけた足跡にゃ、綺麗な花が咲く🌸でしょう」
この詩は響きます。。
例えば、雨降り後のぬかるんだ地面を、心の綺麗な人が歩いたら、その歩いた足跡には、綺麗な花が🌸咲くでしょう。。
いい言葉です。
私達は意味のある生き方をしようとします。。
言い換えれば、意味のある生き方とは、自己という自分自身を他人と差別化する、評価を他人からもらえる様に努力する。。頑張るという生き方です。
それが自立だと思っているからです。
それはあるがままではありません。。
私達は、自己を自立させないといけない。。と言う欲望と同時に脅迫に迫られて生きているのです。
プーチンも、自分の存在意味を存続させる為、意味ある行動をし続けなければならない。。
と言う、欲望と同時に、自分を脅迫しているのです。
私達も同じです。
それは言い換えれば、自分の足跡に綺麗な花が咲く🌸様に意図的に歩く。。ということです。
そして、あの人歩いた足跡には、綺麗な花が咲く🌸よね?と、言われる様な生き方をする事でもあります。。評価ありきです。
でも本当の真人。。まことの人とはこの詩のように、自分が生きている間には評価されない事をわかっていて、自分の行動が評価されることはない。。と、知っていても、自分の真の心で生きることそのものを大事に生きている。。
そういう人が通り過ぎた道は、季節が変われば、綺麗な花が🌸咲くのではないでしょうか?
それは、老子さんが言うように、無為にして為せ。。何かの為に生きるのをやめなさい。。
ただ、あるがまま生きなさい。。と言うのです。
私達は、生かされていて、生かされてるがまま生きると言う事は、言い換えれば、全てを受け入れて生きている状態です。
全てを受け入れ、お任せしてる次元は無心であり、無為自然であり、そこに自分の自己に意味付けして、差別化する、要求、欲望意識は消えるのです。
無為自然で、無為にして為せで生きている人の足跡には👣、綺麗な花が咲くのです。
それが法則です。
何故? 踏んだところを浄化するかです。
自分に評価として返ってくる行動しかしない。。と言うのが意味ある生き方です。。
しかし無心で生きてる人には、生きる意味など必要ないのです。
何故なら全てを受け入れて生きているから。。つまり自己を飾り立て、大きく見せようとする欲望がないからです。
ですから。。ただ歩くのです🚶♂️ 気持ち良く、ありがたいなあ。と感じながら歩く。。
健康のためでもなく、痩せる為でもない。。
歩く事そのものを楽しめる心。。それが真の心です。
そう言う心で歩いた人の足跡こそ、実は一番浄化されると言う事。。
歩いた人にその意図が無ければないほど。。
つまり、地球を🌏浄化させるには、地球をどうこうしようと。。考えるよりも、私達1人1人が、意味ある生き方妄想を手放し、今、生きてることそのものを、楽しめる様になること。。
今、ウクライナで起きていることもそうです。
私達はウクライナに何もしてやれないじゃないか?と、自分を責めるのではなく、正しい心で歩くことです。
そうすれば、足跡が浄化され、地球を浄化するのです。
それが、今、私達が出来ることがあります。
地球に起きている出来事は、私達の心の縮図です。。
私達の心を変える事を促されているのです。