心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

及川光博の名言。。

昨日、テレビで、林先生と、ミッチーこと、及川光博さんが対談をしていました。。

その中で、及川さんがいい話をしていました。。

「ドラマを通じて、何もしない勇気を得ました」

何もしない勇気。。

これは、僕が整体修行を始めた20代後半。。最初の師匠が言った言葉、「何もしないのが最良の治療。。」

と、通ずる所があります。。

僕は、しばらく、意味がわからなかったんです。。

困っているお客さんに、苦しんでいるお客さんに、できるだけいろんなことをしてあげて、治してあげるのが、いい治療家だと、それまで思っていたからです。。でも、やってるうちに、解ってきた。。

 

症状を起こすのも、自然治癒力が、必要があってやってる事。。

身体にとって、その過程は、あるがままなのです。。

宇宙の運行。。宇宙の呼吸から逸脱した心のあり方、呼吸の仕方、体の使い方。。を、欲望に囚われて逸脱し始めた時、宇宙船が、これ以上軌道を外れまいと、軌道に戻す為に、噴射します。。あれが症状です。。

症状で軌道に戻ろうとしているのです。

あるがままな症状、必要な出来事を、お客さんが辛がってるからと、安易に手を差し伸べて、治してしまう。。という行為は、情の世界です。。優しさではあるのですが、その人の体が、あるがままに生きてる、その過程に、強引に関わり、症状だけ消して、楽にしてあげる行為。。

病院の薬💊もそうです。

そうすれば、苦しみを取り除いてくれた患者さんには感謝され愛されるでしょう。。

でも、必要があって症状を出し、その症状を通して、自分に向き合わせ、気づきを得させて、心の軌道修正、呼吸の軌道修正、体の使い方の軌道修正をさせようとしている働きを邪魔しその気づきの機会を略奪したのと同じです。

 

ぼくが、いつも、自分で治してください、。僕に頼り過ぎないで。。と、突き放す様な言い方をする理由です。

そして、心の話、体の話。。

せっかく、心の症状、体の症状が出てるのですから、今ここは、気づきの場です。

という事で、いろんな気づきのヒントになる話をするのです。

何もしないのが、最良の治療。

それは、言い換えれば、情に囚われ過ぎて、宇宙の仕組みというあるがままな働きを、情という次元の低い優しさという、俺らしさに囚われ、余計な事をしない事。。という意味。

 

及川光博さんが、ドラマの撮影を通して気づいた事。。

それは、俺らしさという妄想。人生の中で、受けの良かった自分のキャラ、愛された自分のキャラ、評価された自分のキャラを、自分らしさだと勘違いして、常に、どこでも王子キャラを出さなきゃいけない。。出さねばならない。。それが俺らしさだし、それをファンが期待してるのだから。。と、そこを大袈裟に増幅して生きようとしていた事。。

それは、それを出し続けないと、ファンが離れていくんじゃないか?という恐怖だった。。

それが怖くて、無理に俺らしさではない俺らしさを、大袈裟に演じてきたんだ。。

それはしんどい。。という事だと思うんです。

 

それにドラマ撮影で、自分がそういう余計な事をすれば、ドラマが台無しになる。。

それで、ドラマ撮影は、キャラ封印で、真摯に自分に向い合い、撮影に臨んでみた。。

 

そうしたら、人に受けるための、俺らしさを無理に演じなくても、あるがままな、全体の中の個である自分でいるだけで、他の演者との一体感が持てるし、その一体感の中で生まれる新しい自分こそ、あるがままな自分の美しさであり、本当のあるがままな自分とは、隠していても滲み出てくるものなのだ。。

あるがままと、俺らしさは違う。。と、知った、。という事です。

何もしない勇気とは、俺らしさを演じる事をやめる勇気です。。

私達の本当のあるがままとは、俺らしさとは、こういう生き方だ、。と、意識していない時間こそ、無心の時こそ、自然に滲み出ているものです。

俺らしさを意識した途端、それはもう有意識であり、無心ではないんです。

つまり、囚われなんです。。

俺らしさを自覚する事では気づきです。。

しかし、自覚したら俺らしさは忘れる事です。

俺らしく生きなきゃ。。と、俺らしさを意識し続ける生き方は、余計な事をしてしまう生き方です。あるがままを逸脱してしまうのです。

何もしないとは、法則のままに生きるという事。

そこに、こうしなきゃ、こうであらねばは、要らないという悟りです。

及川光博さんも、言っていましたね。。

俺らしさに執着することで、本来の自分の生き方を、むしろ狭くしている気がした。。と。