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川村整体ブログ 

葬式。法事の嘘。親鸞さんの解釈

僕は親鸞聖人が好きです。。

親鸞聖人の遺した書物を読むと、とても純粋で下心のない、美しい人だったと解ります。

仏教を、つまりお釈迦さんの意志を正確に解釈したのは、親鸞さんだと言えるのです。

親鸞さんの浄土真宗における、葬儀、法事についての考えを見てみよう。。

 

 

 

引用。。。

 

誰かが亡くなると必ずなされるのが葬式・法事です。

葬式を立派にすると死んだ人が浮かばれるとか、法事は何周忌まではしたほうがよいとか言われますが、葬式・法事は死んだ人のために行うものなのでしょうか。

今回は浄土真宗での葬式・法事の意義について解説します。

 

亡くなった人のために葬式や法事を行い、葬式や法事での読経が亡くなった人のためになると思われていますが、そうではないんですよと教えられた方が、仏教を説かれたお釈迦さまです。

あるとき、お釈迦さまに一人の弟子が「死人のまわりで有り難い経文を唱えると、死人が善いところへ生まれ変わるという人がありますが、本当でしょうか」と尋ねました。

 

そのとき、お釈迦さまは黙って小石を一個拾われて、近くの池に投げられました。

水面に輪を描いて沈んでいった石をお釈迦さまは指さされて、こう反問されています。

 

「あの池のまわりを、石よ浮いてこい、浮いてこいと唱えながら回れば、石は浮いてくるであろうか」

 

石は、それ自身の重さで沈んでいったのだ。人間もまた、自業自得によって死後の果報が決まるのだ。経文を読んで死人の果報が変わるはずがないではないか。

 

葬式・法事の真の意義

では、葬式や法事や読経は、全く無意味なことかといいますと、それは勤める人の心がけによると教えられています。

私たちが亡くなった人を偲ぶとき、「亡くなった人が最も喜ぶことは何か、最も望んでいることは何か」をよく考えることが第一です。

 

いろいろことが思い浮かぶでしょうが、煎じ詰めると私に「幸せになってもらいたい」ではないでしょうか。

このことを思いますと、私たちが本当の幸せになることが、亡くなった人の喜ぶことであり、恩返しにもなるのです。

 

厳粛な葬式や法事のときは、あれも忙しい、これも忙しいと、普段、なかなか自分を振り返ることのない人でも、亡くなった人を通して、人はやがて死んでいかねばならないことを目の当たりにし、必ず終わりがくる人生を真面目に考えずにおれなくなります。

 

お釈迦さまの教えを聞かせていただきますと、人生とは何かを考えさせられ、悲しみがいやされ、本当の幸せになることができます。

 

葬式や法事では、読経だけでなく、読まれたお経に説かれているお釈迦さまの教えを聞かせていただくことで本当に意味のある葬式、法事となるのです。

まとめ

葬式や法事で行われる読経には、亡くなった人を幸せにする力があるように思われていますが、それを真っ向から否定されたの仏教を説かれたお釈迦様でした。

 

葬式や法事での読経や儀式は亡くなった人に向けて行われるのではなく、そのとき集まった生きている私たちのために行うものです。

 

普段は忙しい毎日を過ごしている中でも、厳粛な葬式や法事の縁に触れることで、やがて必ず自分の身にも訪れる死を思い、人生を真面目に考えずにおれなくなります。

 

人生でなすべきことは何か、後悔のない人生を過ごすにはどうすればいいかを教えられたのが仏教です。

 

葬式や法事はただの読経と儀式で終わらず、遺された私がどうすれば本当の幸せになれるかを、仏教を聞いて学びましょう。