虐待された犬🐕を引き取って、飼う場合。。犬はしばらくの期間、怯えて、飼い主が近づく事を許しません。
しかし、距離を置いて見守る期間を経て、少しずつ犬は心を開いていきます。
親子の関係も同じです。
特に思春期に入り、反抗期に入る。不良仲間と悪さをする子も出てくる。。
こんな時、親は自分の責任に於いて、慌てて焦り、子供をなんとかしようと関わり過ぎようとする。。
あなたのために言っているのよ!
と、声高に言えば言うほど、子供は自分は親に愛されていないと感じてしまう。。
それはあなたの世間体の為に言ってるんでしょ!。。と。
子供の反抗期は、親に対する、自分を色眼鏡で見ることをそろそろ辞めてくれませんか?
という意思表示です。
親の愛に飢えているのです。
僕の場合もそうだが、親子というのは、距離が近すぎるが上に、お互い理解しにくいのです。
僕の亡くなった父も、87歳の母も、俺のこと全然解っていません。。
子供の時の、悪ガキの僕のままの認識なんです。
例えば、絵を🖼描くときも、時々、距離を置いて遠くから眺めますよね!
そうしないと、絵が正しく描かれているか?認識できないのです。
いつまでも近い距離のままでは、お互いが正しく理解できない。
子供が、社会人になり、親元を離れて初めて親の有り難みが分かるのと同じです。
僕も東京で一人暮らし、社会人になった時、親父は毎日こんな嫌な思いをしてまで、お金を稼ぎ、大学まで行かせてくれたんだなあ。盆休みに実家に戻った時、親父にその話をしてあげて、焼肉を奢ってあげました。。あの時の親父の照れ臭そうな笑顔をよく覚えてます。
子供が反抗期に入ったら、悪くなったら、距離を開けて、見守ってあげよう。。
それは、距離感を変えて、お互いが正しく認識し直すチャンスです。
それは最大の優しさ。。
子供が離れて行った?のではありません。
新しい、距離感の構築のサインです。
見守りながらも、見捨てない。。子供を色眼鏡で見ていた事を反省して、ありのままの子供を認め、受け入れて、見守る。。
それをしてくれていると感じた子供は、いつの日か、親は、今までの様に、自分を標準信仰の基準に当てはめようと、強引に、あなたの為よ!と言いながら、良い子、優秀な子という型にはめ込もうとする親の欲望の犠牲になっている。。
という、閉鎖的な、防御的な心を開き、自ら、親に悲しい思いをさせている事を反省して、自ら、生き方を変えてくるのです。
相撲の大関千代大海が、中学で悪で有名で、親が自殺しようとした時、目が覚めて、千代の富士の相撲部屋に入門した話が好きです。
例えが悪いかもしれませんが、虐待された犬は、人間を信用していません。。
だから、近づいて欲しくないのです。
近づいて関わろうとする行為が嫌だ。。
だから、部屋に引きこもるのです。
最終の居場所なのです。
それでも、引きこもる事自体を責められ、見守り、自分を正しく理解し、受け入れてくれないどころか、説教される毎日。。それで居場所が無くなり殺人が起きる。。
虐待された保護犬の檻の中に、無神経に手を入れれば、噛みつかれるのと同じです。
無理に近づき、関わるだけが優しさではない。。
距離を開けて。見守る心。。これも大事な優しさです。
そういう時期が必要なのです。
気持ちの転換です。
待ってあげる。。という心は、一番難しい親の優しさでしょう。。
スクールウオーズ。。というラクビーのドラマがありました。。
そのドラマの中で、「信じて、許して、待ってあげる」。。というラクビー部監督の口癖が好きです。