一人 出家すれば 九族 天に生まる
この言葉を聞いたことがある人はいるんじゃないでしょうか?
仏典に出てくるんです。
でも、言葉とは難しいもので、間違えて解釈される場合が多く、その間違った解釈を教義にした宗教団体が、信者を惑わすのです。
仏教の本当の解釈は、先祖の間違い、つまり業が、子孫に被ることは無い。。
よく勘違いされています。
自業自得とはそういう意味。。自分で創った業は、自分の問題でしかなく、国の借金を、次の世代につけ回す様な法則はないんです。
自分で創った業は、生まれ変わった人生において、自分で、守護の霊と協力して消すしかないのです。
しかし、一人が解脱。。悟りを開いた場合。。ここで出家とは、悟りを開く事であり、僧侶になる事ではないんです。
そこを勘違いされていますよね。。
僧侶になったところで、悟りを開けなければ、出家した事にならないんです。
でも、街で暮らす町民が、毎日の暮らしの中で悟る事ができた場合。。それは出家した事なんです。
出家とは、俗世からの解脱を完成させた魂レベルに至ったという事です。
有為の世界を解脱し、無為の世界で生きる事です。
何かの為に生きる事をやめる事です。
私達は、実は、何かの為に生きる事で、迷いがあるのです。。
一人の人間が解脱。。つまり出家する事ができたなら、その光は、九族まで照らされるという事。。
どういう事かというと、キャンプファイヤー🏕で、トーチ棒に誰かが火を🔥つける事ができれば、その火は、次々と横にあるトーチ棒にも火を🔥容易く移していけます。。
それぐらい、縁ある先祖子孫の誰か一人が解脱するという事は、その一族をたちまち救うという事です。
先祖の業は、子孫は受けないのに、子孫、または先祖の誰かが霊界で解脱すれば、たちまち、九族も輝き始めるという事。。
以下、参考に。
仏典には「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」という聖句がある。
九族とは高祖・曽祖・祖父・父・自分・子・孫・曾孫・玄孫の各九代にわたる親属のことであります。
「九族が天に生まれて」天人歓喜常楽の生活を営ましめるためには、九族の名前をいちいち呼び出して祀るということが必ずしも必要ではないのである。
自分自身が出家することが必要である。
“出家する”とは、必ずしも家を出て僧侶の修行をすることではないのである。
真理を悟って、俗世間に生活しながらでも、維摩居士(仏教の『維摩経』に、釈迦と同時代の人間として描かれている悟境に達した富豪・維摩詰のこと。居士は、在家の一家の主人を指す)のように自由を得るということである。
俗世に処しながら、その俗世の生活が真理によって超出した境地で、「菩薩心浄ければ仏土浄し」の浄き世界に住み得ることである。
自分ひとりがそのような悟境に入れば、九族ことごとく天界に生まれるのであるから、「迷っている霊はひとりもない」ということになるのである。
「あの霊が迷っているのではないか」と“迷い”にひっかかるより先に、自分が迷わないようにすることが大切である。
一人出家すれば九族天に生まる、と古来より言われています。九族とは、過去の四族、自己、未来の四族です。
聖道門では、出家が尊ばれ、功徳あるものとされています。
浄土真宗では、真実信心獲得が最重要視されるので、あまり出家が重要視されていないようにも思われますが、教行信証や和讃を見ますと、尊ばれています。
たとえば、無戒名字の比丘なれど、末法濁世の世となりて、舎利弗・目連にひとしくて、供養恭敬をすすめしむ、とご和讃にあります。
「一子出家すれば七世の父母(ぶも)皆得脱(みなとくだつ)す」
(2008/06/30) 池田 勇諦 |