私達は、症状が出ると、それを不快なものとして認識、意識化して、その煩わしさから早く逃れたいと、病院に行き、薬でその症状を抑えてしまう。。
抑えられた症状は、無意識化され、不認識となり、煩わしさが消えます。。
それを期待して私達は、病院に行き、薬を処方してもらおうとするのです。
しかし、いつも僕が、それは違うといいます、。
僕は症状を気化熱の様なものだと認識しています。
打ち水、気化熱。。最近の人は分からないかもしれませんね!
僕の子供時代、小学生の頃までは、自宅にエアコンがある🏠人など、クラスの社長の息子 の家で見かけるぐらいで、一般の家にはありませんでした。
扇風機とうちわで凌いでいたんです。
そして夕方になると、こぞって、ご近所の人達が、自宅前のアスファルトに水を撒くんです。。
社宅に住んでたので、長屋の様な住居で🛖、、皆、同時に水を撒くんです。。
それが毎日の夕方の光景でした。。
すると、水蒸気が蒸発していく不思議な光景を目にし、その後涼しい風が吹いてくる。。
この道理は知りませんでしたが、なぜか打ち水をすると、水が蒸発して、涼しい風が吹いてくる。。
この仕組みは実はエアコンでも同じ仕組みですよ!
さあ、打ち水の気化熱と、症状が何が同じなのか?
症状とは、体の中に滞留した、不必要な水、汚れた水、または邪気を、体の治癒力(熱)によって、肌から、そして粘膜から蒸発させて、体内の滞留した汚れた水、または邪気を排泄する過程です。
だから病気じゃない。。
病気とは、気が病むと書きます。。
体内の気が病まない様に、気の流れ、気に伴う気血の流れを滞らせないように、気化熱させているのです。
それが症状です、。気化熱現象です。
この図の様に、道に撒いた水が蒸発するには、太陽熱に照らされ、熱くなっている道路の熱が必要です。
曇りの日や、雨に日には、気化熱は起きません。
道路に溜まった、汚れた水を、排泄するには、太陽熱という、他力が必要なのです。
道路の力でもないし、水の力でもない。。もちろん水を撒いた人間の力でもないでしょ?
しかし、道路も人間も水も必要です。。これを縁と言います。
全ては、因縁果。。縁がなければ成立しないのです。
私達も同様。。
縁がなければ、私は成立しません。
私達の身体も同様です。
怪我した身体は、自然に治っていきます。。
しかし、その自然に治る力を、西洋医学は、自然治癒力と呼びますが、僕に言わせれば、他力です 自分ではない何かの力によって、私達は生かされているのです。
そこに気づき、その他力という、自分を生かしてくれる力を受け入れる、素直に頂く、受け取る。。
これが大事なんです。
これを他力仏教というのです。
お願いではないのです。。
治療家が、俺が治した。。と、自慢する奴はバカです。。
こういうのを自力仏教というのです。
それは、物事の一部しか見えていないのです。
それはイコール。。人生に一部しか生きていないのです。
自分の力だと。。思い込んでいるのです。
他力が治した。。その他力の一部に手を貸しただけです。。
他力生命の神秘に、軽く携わっただけ。。
それが尊い、ありがたいのだ。。と、手を合わせる、合わせたくなるのです。
僕が、10年以上整体師を続け、今ではもう腕は一流の仲間入りしてるはずですが、今でも1人3000円でやっている理由でもある、僕が治しているのではない。。
他力が治している。。そのお手伝いをしてるだけ、。という認識が、多分、高額でやってる整体師より強いのです。理解しているのです。
さあ、太陽🌞という他力よって私達は生かされています。
太陽の永遠の熱が必要な様に。。
私達も、他力を活かすのに、熱が必要なんです。。
熱がないと、気化熱で、滞留した気、血、水を、蒸発、つまり症状デトックスできないでしょう?
だから、他力の力で、熱を上げているのに。。なぜそれを解熱剤で下げるのですか?
なぜ、気化熱を邪魔して、蒸発すると言う炎症現象を、ステロイドで封じ込めるのですか?
それは間違いだとわかるでしょ?
症状が出るから自律神経も正常でいられるのです。
気化熱した後には、不思議な涼しい風が吹くと言いました。。
人間の症状も同様で、熱を出して症状化、気化熱化した後には、涼しい風が吹くのです。
その涼しい風で、頭を冷やして、クールダウン。。
頭を冷やすと、我に返り、自分の何が悪くて、症状を出す必要に迫られるぐらい、バランスを崩していたのかに気づきます。。
自分を見つめる事ができるのです。
これは、頭がカッカきてる時は無理でしょ?人のせいにしたくなる。
そして反省して、生き方を転換するのです。
では、道路に滞留した水が、熱で蒸発せずにそこに残り続けたらどうなるでしょう。。
その水溜まりには、ボウフラがわき、蚊が大量に出ます。。
この水溜まりに湧いてきたボウフラが、カビであり、癌なのです。
わかります?
症状という気化熱を、病気と間違えて押さえ込む事で、体内に水溜まりがたくさんできて、カビが繁殖し、カビによってさらに、気血水は滞り、気が病む。病気になるのです。
しかし、病気も結果では無い。。
気が病んでしまった身体を、死なせない様に防御している姿が病気なのです。
だから、病気に至っても、治癒力を上げる、高酸素、高温も身体に戻していけば、そこで気化熱が始まる。。症状化が、再び始まるのです。
これを、好転反応と言います。
当院で、重症な方が、元気になってくると、症状という気化熱が始まる。。
これが好転反応であり、これは気が病んでいる状態を脱皮して、気が動き出した証拠です。
症状、病気は、間違えた生き方の罰ではありません。
その間違いを帳消しにしながら、二度と同じ間違いをしない様に、気づきも同時に与えるものなのです。
ですから、重症の人にありがちな、自分が悪いからこうなったのだ。。
という自分を責める心。。
これは身体に失礼です。
身体は、それを許し、帳消しにしながら、これからは間違うんじゃないよ!と、肩を叩いてくれているのです。
それが、私達に最も近い神、ほ仏である身体の慈悲なのです。
僕はいつも言います。。
身体は必要な事しかしていない。。
それを勘違いしてる、人間の頭が自分で不幸を妄想しているのだと。。