心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

仏教における死後の死生観

仏教では、魂は輪廻転生するとして、私達は何度も生まれ変わりしている。。というのが前提ですが、キリスト教では、人生一度きりで、輪廻転生はないという考え方が一般的。。

そこが違うだけで、全て違ってくるのです。

下の図をよく見ていただきたい。。

仏教でいう輪廻転生とは、六道輪廻という説明がなされています。。この6つの世界を、生まれ変わりながら、グルグル回っているのです。。

そこで、勘違いされているのが、地獄が底辺、牢獄の様なところで、天上界が天国、悟りの世界だと勘違いされている事です。

キリスト教は特にそうですね。。

 

だから、いい行い、善をする事で、天国、天上界に行こうというものです。

しかし、いい行いとは何でしょう?

統一協会では、献金する事が善なんですよ?

善、悪なんて、国によっても、時代によっても違う、妄想です。

 

しかし、仏教はもっと奥深い。。

この六道輪廻の上3つを、三善道と言い、下三つを三悪道と言います。

いい行いをすれば、三善道にいく事ができて、悪い行いをすれば、三悪道に落ちる?

そうではないのです。

仏教では、三善道も、三悪道も、同様に苦しみの世界だと言います。

善も悪も迷いなのです。

つまり、善に囚われた苦しみの世界と、悪に囚われた苦しみ迷いの世界があるだけなんです。

 

これをプロ野球に例えてみましょう。。

天上界は、読売ジャイアンツ。。地獄界は、万年二軍留まりとしましょう。。

万年二軍の選手は、一軍に上がれない苦しさ、自分より先に一軍に上がった選手への妬み、恨み、自分の実力を認めてくれないコーチへの恨みなどあるでしょう。。

では、やっと一軍に上がれて、実力を残して、FA宣言で、ジャイアンツに入団できた。。

その瞬間は、プロ野球選手としての、目標に到達できた。。という喜び。。

名声も得て、給料も倍。。

しかし、どうでしょう。他チームからFA宣言で、ジャイアンツに移籍した、殆どの大物選手は。、期待に押し潰され、ろくな活躍もできずに消えていくのです。。

天上界とは、優秀であるが故の、苦しみ、迷いを体験する場と言えるのであって、キリスト教がいう天国ではないのです。

六道輪廻どこも苦しいのです。。

その苦しみは、その人の持つ執着、囚われを消すのに適した所に生まれ変わる様にできています。。

そして、地獄の横にも、天上界の横にも、菩薩と如来が控えています。。

つまり、仏教に、ご褒美と罰というカースト制度みたいな身分制度は無く、その人の持つ心の癖、、執着、囚われを洗い流すのに適したところに生まれ変わらせ、そこで執着、囚われをてばなさせる。。それを見守り、常に手を差し伸べる、コーチが常にいるのです。。

つまり、六道輪廻、どこに生まれ変わっても、そこはその人に取って、最良の救いの場所なのです。

では、魂が、人間界に生まれ変わりたがる。。と言われる理由。。

仏教では、人間界のみが、仏教と縁を持つ事ができる場所だとされています。

 

そして、この点線の四角の中。。六道輪廻から解脱する事ができるのが、唯一人間界なのです。

お釈迦さんも言い残しています。。

人間界に生まれた事ができた事が素晴らしい事なんだと。。

 

人間で仏教を理解し、善悪という相対感覚世界を超越した世界。。色即是空空即是色。。

煩悩即菩提の境地に気づき、その真実を100%疑いなく受け取る事ができた時、この点線の世界を解脱できるのです。

それが仏教でいう極楽浄土です。

もっと詳しく言えば、極楽浄土行きの船🚢に乗った。。という事です。

ここが本当の天国と言えるのです。

極楽浄土とは、苦しい事がない快楽な世界?ではなくて、無碍の一道、無碍自在。。

善も悪もどちらにも囚われない、つまり、さわり(囚われ、執着)のない絶対的な心、、空の心中心で生きる世界なのです。

執着があれば、善も災い、悪も災いです。。

災い転じて福となす。。しかし執着がなければ、災いはそのまま福と転じるのです。

元プロ野球選手の入来さんと言う人が、プロ野球の引退後、プロ野球の道具係となり、

道具係になって良かった!。と、言っている心は、まさに、成功にも囚われない、解脱した心、菩提心だと言えるのです。

本当に悟りを得た人は、目立たない、。という理由はこれです。

煩悩即菩提。。善という災い、悪という災い。。どちらにも囚われない心。。菩提心に気づき、それを間違いなく受け取った時、輪廻転生を終わるのです。

ですから、キリスト教の様に、善に囚われ、悪に囚われているうちは、天井界に行ける事はあっても、解脱する事はできないのです。

つまり、成仏できないのです。

だから、今、キリスト教信者で迷いのある人は、是非、仏教に転換してください。。

それは裏切りでもなければ、キリストを信じない、。という事にもならない。。

むしろ、それはイエスキリストさんが、希望する事です。

もちろんイエスキリストは、お釈迦さんと同じ事を説いたはずです。

それを解釈した人のレベルに問題があったのです。

西洋医学と東洋医学の違い。。

西洋哲学と、東洋思想に違いを見れば明らか。。

西洋人は、東洋人の様に、見えないものを観るのが苦手らしい。。

もしイエスキリストの言葉を、東洋人が解釈したら、仏教の様になっていたはずです。