心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

キリスト教系団体の間違い。。

統一協会にしろ、エホバの証人にしろ、キリスト教系宗教団体の問題が報じられていますね。。

キリスト教系宗教団体は、ハッキリ言って、本当の宗教を解っていない人達が、更に解っていない素人を勧誘して、洗脳していくんです。

 

そもそも、キリスト教系の教義とは、神が罰を与える。。と言う思想です。

そして神が運命を決める。。予定説です。

だから、神に背くと地獄に落ちるとか、罰を喰らうと言う恐怖政治です。。

だから献金をやめられないし、輸血もできないし、鞭打ちもやめられないのです。

全ては、神に背く行為だと教えられるているからです。

 

仏教には、仏が罰を与えることは無いと言う教義です。

運命も仏が決めるのではなく、自分が決めているのです。。自分の為に。。

 

自分に降りかかる災いは、自業自得、前世で、自分の蒔いた種を刈り取らせる為に、起きているのです。。

罰を与えているのは仏ではなく、自分の前世での行為と言う、蒔いた種なんです。

運命も、自分の蒔いた種を、刈り取りやすい様に、自分の潜在意識が組んだものであり、プログラムです。

 

しかも、それが自分に実となって降りかかる時も、本当は罰でも災いでも、逆境でもない。。

例えば人を叩いた人が、自分も叩かれて初めて痛い!と、判り、こんなに痛いなら、人を殴ったらダメだ🙅‍♀️、。と、気づくでしょう?

 

それを生まれ変わりながらやってるんです。

つまり、立場という自分勝手な都合を、お互いの立場を両方経験することで、相殺する、立場、都合を消して、一体感、調和してる本来の、仏に生かされている存在である調和した私達である事を思い出す。。理解すること。。それが悟りです。

私達は、気の世界では一つで兄弟なのです。

仏とも一体です。

だから、妬み恨む事、競争する必要もないんです。。ほんとうは。。

宇宙と言う一つの身体の中の、一つ一つの細胞が我々1人1人なのです。

 

例えば、親が大嫌いで、東京で1人暮らしを始めたドラ息子が、社会に出ると、嫌な思いをする。。辛いと、。。オヤジは、こんな思いして給料入れてくれて、大学まで出してくれたんだなあ。。と、親父の立場を経験することで、分離した心が調和して、一体化するでしょ?

解り合う事ができる。。合気です。。合気は愛気です。

本当の愛とは、他人に施すものではなく、自分に施しているものです、他人も自分も境が無いですから。。全ての細胞を繋いでいるもの、。それが愛です。

悟りの世界に他人事は無いんです。全部自分事です。。たから自分を大切にする事イコール他人を大事にする事なんです。

自利利他イコール利他自利です。

平和とは調和です。。

キリスト教の教義は、信じるものと信じないものを分ける不調和を作り出すでしょ?

それは真の宗教では無いんです。

もちろん、イエスキリストはそんな不調和な教えを解いていません。

間違えた解釈が広まっているんです。

 

不都合な出来事、逆境を、神の罰だと思い込んでいるんです。

違いますよ。。

 

自転車🚴‍♀️は転んで覚える理論です。

仏の法則は、自分が、間違えた行為をすると、転ぶ様にしてあるのです。

転ぶことで、転ぶ痛みと、転ぶ行為、心の在り方を知り、煩悩即菩提。。正しい心、幸福を知るのです。災い転じて福となせるのです。

 

キリスト教の様に、信じるものだけが救われて、信じないものは神の裁きを受ける。。

と言う教義は、仏教の奥深さを知ると、とてもくだらないんです。

恐怖政治でしょ?

 

仏教では、信じようが信じまいが、最初から救われている。。救いの道の上に乗っているのです。

全ての人が救われる法則になってる。。これを大乗仏教というでしょう?

 

それに気づくだけだと言うんです。

気づいてちゃんと、仏に生かされているバトンを受け取る事なんです。

宗教の世界とは、人間側が、神を信じたり、信じないとかの次元じゃないんです。。

最初から、仏のわけ御霊として生まれ、仏の法則に生かされている事を感得して、最初から仏にお任せして、信じて生きている自分の魂がいました。。

それに気づいていく道なんです。

 

あー本当に、仏に生かされていたんだなあ。。自分で生きてるんじゃ無いんだなあ。。

好い事も、悪い事も、自分の気づき、悟りに必要だから、与えてくれた経験だったんだなあ。。

そうか、信じるとか信じないとかじゃ無いんだ。。

信じていたんだ。。最初から。。

全てお任せして生きていけば、必ず、悟りに導いてくれるんだ。。

どんな酷い目に遭っていても、神の罰では無いんだ。

この経験を、この苦しみを転じて福としなさい。。

と言う宿題なんだなあ。。慈悲なんだなあ。。

 

煩悩あるままで悟れる。。

煩悩即菩提。。

これが仏教の真髄。。

 

全ての人が、最初から救いの道に乗っているし、信じて任せて生きている魂があるのです。

 

身を委ねる猫は可愛いでしょ?

仏さまだって、身を委ねてくれるのが一番嬉しいんです。

お任せすれば良いんです。

本当の信じるということは、お任せして疑わないという事。。

この猫の様にね。。

信じようとすることは、すでに疑っているのです。

だから、キリスト教的に言えば、信じるものも、信じないものも、同様に疑っているから神と繋がる事ができない。。

信じるとか、信じないを超えて、疑いなくお任せする心を、最初から頂いている事に気づきなさい。。気づいたら受け取りなさい。。握手すれば良いんです。

信じる心は、人間の義務ではなく、神仏から与えられておるものです。。

それが仏教です。ー