父親が亡くなって半年。。
母親になんでもかんでもやってあげていた、優しい親父。。
親父が一目惚れでプロポーズしたのが、母親ですから。。
その気持ちをずっと大事にしていた様です。
その姿は素敵でした。。
が。。。そのせいもあり、かなりわがまま。。
その親父がいなくなり、その代わりをやる役割の僕のハードルは高いです。
親父のやっていた事を、ほぼそのまま僕が引き継いでやってる訳で、母親からしたら、父親の代わりを次男がやってる。。ぐらいの感覚で、俺に対する感謝もなければ、お礼も言わない。
当たり前なのです。腹立つわー。
こんな時、誰でも思うんじゃないでしょうか?
「年取るとなんでこんなに、自己中で自分勝手になるんだろ」
整体的に言えば、体が緩まなくなるから、心も緩まなくなり、余裕がなくなる。。
または、体が緩まない為、緩まない事に、イライラして、余裕がなくなる。。
そうではなくて、僕が思う事は、何故、神様は、高齢になると、自己中になる様に設定してあるのか?です。。
たらればではなくて。。神さまが、そういう設定にしている理由です。。
そう思っていたら。直感が入ってきたんです。
言葉では無いが、インスピレーションで。。教えて貰えました。。
「死ぬ準備の為だよ! 人間は死ぬと肉体を脱いで霊界に引っ越す訳だろ!あの世で住むには、肉体時代に潜在意識に溜め込んだ、自己保存欲、欲望が邪魔なんだよ。。それを、死期が近づくと、大掃除🧹するんじゃ。。それは、汚れを履き出しているんだよ」
なるほど。。そういう事か。。あの世への引っ越しの準備で、肉体時代に溜めた、心の粗大ゴミを片付けているんだ。。
ならば、残った子孫は、その掃除を手伝ってやる様な気持ちでいた方が良いし、楽だな。。
わがままをしながら、わがままな心を捨ててるわけだ。。
また、自分も、死ぬ直前に大掃除しなくちゃいけない汚れた心でない様に、今から、日々心の断捨離をする事が大事だな。。
そうすれば、高齢者になっても、好かれる爺さんでいられるかな。。
高齢者となると、自己中になるタイプと、神様みたいになる高齢者と分かれるけど。。
その違いは、心の部屋の掃除を、若い頃からしていた人と、ゴミ屋敷にしていた人の違いとも言えそうだ。。