昨今では、体罰は暴力であると。。
結論付けられて。。小学校の先生でさえ。。子供に体罰を与える事が禁止されている。。
しかし、僕の経験から。。
体罰は暴力にもなり得るが、。愛にもなり得る。。
それは、包丁を🔪料理に使う人と、人殺しに使う人との違いであり、l
使う人の、魂レベル、理解力で変わるものであり。
体罰は、全て暴力。。という考え方では、体罰によって目覚める事ができる子の、気づきのチャンスの芽を摘んでしまう事にもなっているのだと思うんです。
以前もブログに書いたけど、。小学校6年中学3年の9年間の義務教育で。。
一番体罰教師だったのは、。小5の時の宇佐美先生でした。。
でも、、もっとも大好き💕だった先生も、宇佐美先生なのです。。
宇佐美先生は、「、罪は憎んで人を憎まず。。」
そんな先生でしたよ。。
悪い事をすると。。
必ずビンタされるんだけど。。
目はいつも優しい、。。
お前らは可愛い🩷けど、、この手が、身体が悪さしたんだな。。
じゃあ、。体に喝を入れとくぞ。。
この痛み覚えとけ、。。
そんな感じ。。
これは愛情を感じましたね。。
僕らの為に、、ビンタしてくれてる、。そんな気持ちです。。
宇佐美先生を嫌いな生徒はいなかったと、思います。。
僕だけじゃなくて、。5年4組全員が、。
もっとも暴力教師は宇佐美先生だった。。
でも一番好きなのも宇佐美先生。。そう言うんじゃないでしょうか?
体罰が暴力だと言うなら。。
本当は、体をいじめる、鍛え得る事も、体罰だし。。
山岳修行、。山での難行苦行も、自分の体をいじめ抜く体罰ですよ。。
マラソンだって体罰ではないですか?
昔の修行僧は、悪は肉体に宿ると考えていたんです。
これは正しい様で正しくない。。
だから、山岳修行で、肉体を痛めつけると、。肉体意識が麻痺して、魂意識だけが残る。。
と、考えられていたんです。。
実際は違うんですけど。。肉体も必要です。。大事です。
肉体とは、魂が、肉体次元で生きる為の道具です。
海に潜るのに、、潜水服がいる様にね。。
でも、皆さんも、やってるでしょう、自分の体をいじめて抜いているでしょう?
何故ですか?
それで身体が強くなると、、心が強くなると思うからでしょう?
子供の教育も同じです。。
ある程度の必要性はあります。。
肉体意識が強すぎる場合。。それに喝を入れて、邪気を抜く事が必要です。。
でないと。。魂が肉体を操る。。内から外へ。。のエネルギー循環が起きなくなる。
すると自分が分からなくなるんです。。
それで、自分の中では無く、自分の外に居場所を探して放浪してしまう。。
体罰が無くなった現代っ子は、肉体のガス抜きがされていない。。
それで、自分を見失い、、不登校になるとも言えるはずです。
肉体に詰まった邪気を抜く為の体罰は、必要だと思います。。
しかし、感情的に怒りの捌け口として、反抗できない弱い立場の子供をぶん殴る、。
それは暴力です、。。
しかし、本当に子供が愛らしいから、、躾として叱る、。肉体に喝を入れる、。
これは愛情です。。
子供にそれが伝われば。。ですけど。
罪を憎んで人を憎まず、。
こう言う気持ちで叱れる大人なら、。体罰は、時に愛となります。。
僕はそう思いますね。。
僕の経験で言うと、、幼稚園の頃。。
親父の貯金箱から小銭を盗んだ、、。。
それで、コーラを買うのが好きだったんです。。
それが親父にばれて。。布団叩きで、滅多打ちです。。
母親が止めても、。親父は泣きながら😭、、叩き続けました。。
僕は、幼稚園児なのに、。親父の愛情を感じた。。
「2度と人の物を盗むんじゃないぞ!」
体で、今日の事は覚えとけ!。。
体罰とは、非日常体験でもある。。
普段体罰をしない親父の体罰は、、非日常体験。。
親父にとっても、僕にとってもです。。
だから、心に刻まれた。。
これは、俺は大変な事をしたらしい。。
今でも泣きながら😭布団叩きで僕を叩く親父を思い出す。。
俺の前で泣いたのはあれが最初で最後、。l
お父さんごめん🙇♀️🙏、、もうしないよ!
あれを、口頭注意だけだったら、、多分繰り返したと思うんです。。
あの時の体罰は暴力じゃない、。
愛情❤️🩹だった。。
宇佐美先生の、ビンタも、愛情しか感じない。。
そんな体罰も、僕は必要だと思うな。
