心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 野口整体術を、仏教で紐解く

向き合うとは、人生の一部と認める事

向き合うと言う言葉。。

昭和時代では、向き合うとは、逃げずに闘う。。と言うニュアンスが強かった。。

しかし闘うと言う事は、善悪があり、敵と身方という区別が起きやすい。。

 

人間関係のもつれを解消しようと、、相手と向き合う事を決断する。。。

しかし昭和式向き合うだと、膝を突き合わせて話し合う。。

これは、距離が近過ぎる。。

 

人間というのは、縄張りに、他の動物が近づくと威嚇し、追い出す様に。。

人間関係においても、近すぎる距離では、喧嘩が起きやすい。。

つまり、話し合い。。分かち合う為?とはならず。。どちらが間違っているのか?

という成否の決定という、闘いが起きてしまう。。

それでも昭和時代の人間には余裕があり、喧嘩した後、言いたい事を言い合った後。。すっきりして、お互い誤解があった事にも気づき。。なんだ誤解してたわ。。お前いいやつだね!

と、仲良くなるケースがあった。。

 

しかし、現代の若者達は、その余裕がない。。

だから向き合うことを嫌う。。

向き合う事は、距離が近すぎて、話し合いではなく、喧嘩になりがちである事に、身体の過敏性で気づいているから。。

だから、近づかない、、距離を空ける。。1人が好き、、学校とは、いやをなしに、教室に入れば、隣人との距離が近い。。

これが嫌なのです。。

近すぎる距離は、強制的向き合いが起きて。。そこには、上下関係という争いが起きる。。

戦いが起きる、、

それがめんどくさい、。人間関係、、上下関係↕️がめんどくさい。。

ならば1人の方が良い。。。

また遠い距離感で気軽に付き合える、、歳の離れた人が楽。。

そこには争いが起きないから。。

過敏体質な子は、歳の離れた人との付き合いが楽なのです。。

距離が遠く感じる。。

 

縄張りに近づかなければ、争いは起きない訳です。。

歳の近い友人知人は、縄張りを持っているので、、近くに近づく、、向き合うと。。

どっちが上で、。どっちが正しいいんだ?

という闘いが起きる。。

 

だから不登校になる、、引きこもるのです。。

だから、縄張りから離れた場所へ、逃避するのです、。

 

昭和は向き合え(近づけ)。。令和は離れろ(ひとまず逃げろ)です。。。

しかし、いつまでも、縄張りから離れたところで、待機しても、物事は解決しない。。

しかし向き合うのは嫌だ、。

 

昭和版向き合うは嫌だが。。令和番向き合うならできるはず。。

令和番向き合うとは、人間関係のもつれである場合、。その相手と向き合うのではなく。。

また病気な場合、、病気と向き合い。。闘うのではなく。。

自分と闘うのも間違い。。

弱い自分が悪いのではないのです。。

本当の自分と、肉体に付随した自分との関係性が悪いのです。

 

人間関係がもつれている、、という心の問題から目をそらすことをやめる。。

つまり受け入れる事です。。

病気で苦しむ心の問題から、目をそらす事をやめる。。

 

つまり問題に向き合う。。自分の心の問題に向き合うという事です。

相手や病気に向き合うのではありません。。

 

自分以外のものに向き合う事は、l闘いになります。。

そうでがなく、、相手がいるから苦しい、。その心の問題。。病気だから苦しい、、

その自分の心の問題に向き合う事です。。

 

それは、人間関係のもつれを、病気を、介護を。。。自分の人生の一部であると認め、受け入れる事です。。

私達は、非日常体験、を、人間関係のもつれ、、病気、介護を、余計な事だと考え、、

自分の人生の一部である事を、なかなか認めず、受け入れ無いのです。。

 

自分の時間がない。。と、、しかし、自分に巻き起こる出来事は全て、深い部分で、自分の魂を浄化する為、、自分で呼び込んだ経験です。。

 

ですから、その問題の時間を費やす事は🕞、無駄な時間。。余計なことではないのです。

その経験、、その問題に向き合う事、、人生の一部だと認めて受け入れ。。

ある意味明らめる事。。。

これが大事だし、、成長だし、、勉強だし、、心を豊にし、人生を豊かにするのです。

相手に向き合おうとせず、、病気と向き合おうとせず。。

 

この相手との間に起きている自分の心の問題と向き合い、、病気になることで起きている心の問題に向き合う。。

余計な時間だと、、思わず、大切な自分の人生の一部、。人生経験なんだと、認め、受け入れ、明らめる。。

それが大事。。。

相手と向き合えば喧嘩となり、病気と向き合えば闘病となり、痴呆者と向き合えば怒りが込み上げる。。

相手は自分の心の鏡🪞。。。

相手に原因を探しても、解決しません。。

 

怒りが💢込み上げるだけ、イライラするだけ。。

タンスという大きく重たいものを、、持ち上げるには、双方の呼吸を合わす必要がある。。

タンスという双方の間に仮に存在している問題。。その問題、。タンスを、どう息を合わせて持ち上げるのか?

そういう感覚でいいと思います。。

タンスが持ち上がるとき、、それはお互いが、何かを捨て、何かを得た時です。。

お互いが変わらないとタンスは持ち上がらないんです。。

近すぎる向き合う話し合いは、、縄張り争いになりやすい、。

 

タンスを介して、遠い距離感で、タンスという問題を、お互い感じ取れば良いのです。。

問題はタンスにあり、相手にはありません。。

自分と相手の間にある関係性、、自分と病気の間にある関係性の歪みがあるのです。