何で俺だけが? 何で俺が?
俺だけ捕まったんだ、。と。。あいつが悪いのに。。
自分だけが貧乏くじを引いた、、ついてないと思うんです。。
しかし本当はそうじゃない。。
僕は20代で整体修行時代、。
整体術と同時に、同じ先生から、合気武術も習っていました。。
合気道同様、、下の写真の様に。。腕を掴ませる所から始まる練習が多く。。
まだ脱力下手だった俺は、、腕を掴まれる度に、力が入ってしまい、、つまり抵抗してしまい。。余計自分の心身の自由性を失う感じがして、。とても嫌いな練習でした。。
しかし、師匠が、。「掴まれた、。と、思うから固まるんだ、、掴ませたと、思ってみろ!」
やってみた。。掴まれた時に、これは、掴まれたのでは無く、掴ませているのだ。。
と、思うだけで、相手と調和して、自由自在になったのです。。
これは、僕にとって大きな発見で、、
僕の川村整体のホームページにも書いてあります。。
この体験から、、僕の、「人生は、抵抗する努力を放棄し、、「受け入れて覚悟する脱力」で、、肉体的執着を手放すと、、魂のままに、あるがままに、、流れるままに。。自由自在に至るのだ、、と、悟ったのです。
合気武術は、それを教えてくれました。。
整体術も同じです。
毎日私達に巻き起こる、、自分に不都合な出来事。。嫌な出来事、、
そこに宝があります。。
それに、掴まれた!と、抵抗すれば、余計不自由になるのです、。
私たちはそれをやっている。。
しかし。。「これは、魂が掴ませて、受け入れ覚悟させ、脱力させようとしているのだ」
。。そう。。掴ませているのだ。。
と、受け入れて覚悟すれば、、肉体に付随した、自己意識イコール🟰執着に抵抗する努力。。それが苦しみの元になっているのだ、。
と、気づき、それを手放す事ができる、
手放した分だけ、魂のまま、、あるがまま、、流れのままが解る。。
流れるまが一番楽なのです。自然のままですから。。
過去を後悔する抵抗、、未来を不安視する抵抗、、
今を未来の目標の手段とすれば、、思い通りにならない怒り💢が起きる。。これも抵抗。。
そこには、肉体に付随した意識、、執着心への抵抗がある。。
今日をそのまま受け入れて覚悟する脱力する、、掴ませたんだ、、掴まれたのではない。。
すると、脱力して我に返り、冷静に自分を見つめる事ができる。。
何に執着し、抵抗しているのかが解る。。
今を、受け入れてられず。。逸脱している自分に気づく、
今を生きる事イコール🟰今を受け入れて覚悟する事、脱力する事。。。。
そこには実は苦しみがない。。
趣味に没頭している時間、、苦しみを忘れるのは、今を受け入れているから。。
今を生きているから、、受け入れているから。。
抵抗すれば、自己意識の世界。。時間の🕞世界。。過去や未来に意識が飛ぶ、、だから後悔や不安が産まれる。。
受け入れれば、覚悟すれば、意識は今に戻って無心となる。
時間が自分と一つになり消える。。つまり過去や未来が消える。。
あーこんな執着に抵抗していたのか?
だから苦しかったんだ、、
掴まれた。。と、被害者意識で生きているからだ。。
全ての出来事は、自身の魂が、あえて掴ませて受け入れ、覚悟、脱力を促している現象であります。。
そして肉体的執着、執着に抵抗する心を、手放し。。あるがままと、入れ替えなさいと、。
毎日は合気道なのです。。
いろんな事象が毎日。。腕を掴んでくる。。
しかしその時、、掴まれた、。と思えば抵抗してしまう。。
しかし、掴ませた、。と、思えば、相手は敵ではなくなり、ありがたい練習相手となるのです。
これが和かる。。解るという事です。。
分かるとは違うんです。分かるとは分析科学です。。
苦しい時、、、そこには肉体的執着と、そこに抵抗する心があります。。
今を掴ませたと、、受け入れ覚悟する事で、、脱力し、我に返り。。どんな執着に抵抗しているかが見えてくる、、そしたらそれは真の自分の心ではないので、自我なので手放す、、
すると、自己意識と、魂のままな心が、真我に入れ替わる。。
その毎日なのです。。
仏教の奥義、、煩悩即菩提とはそういう事。。
嫌な事はそのまま、素敵な事に変わる。。
