スイカ🍉の種を、外にばら撒いたら、スイカが生えて来た。。
そんな経験ありませんか?
種があれば、それに縁が重なれば、花は咲き🌼、野菜果物は咲く🍎🍊。。
人間も実は同様です。。
自分探し。。と、自分が咲ける場所を探す。。
自分の居場所を探す訳です。。
しかし、自分の本当に居場所は、自分の中、、自分の種の中にしかないのです。。
自分の咲ける居場所とは、、自分の中に、元々ある種、、因(イン)が、その居場所(縁エン)
と、重なって、果(カ)咲いたに過ぎず。。
居場所が咲かせたのではないのです。
私達は、どこでも咲けるのです。
咲ける場所を探すのはナンセンス。。
あなたにとって、好条件の場所イコール🟰咲ける場所とは限らないのです。
以前、リンゴ農家の長女の話を書いたら、反響がありました。。
もう一度書いてみます。。
実家が青森のりんご農家。。
男の子がおらず、、りんご農家を継ぐのは長女と決まった、、
次女は、東京に🗼就職。。
長女は自分の運命を羨んだ。
何故?長女だというだけで、青森のりんご農家🧑🌾として生きていかなければならないのだ!。。私だって、東京で、若さを満喫したい、、妹が羨ましくもあり、憎くもある。。
しかし、この長女、、あれから30年が経ち、、
今では、りんご🍎農家で良かった、、私は幸福です。。(^^)。。
と、言うのです。。
食わず嫌いはいけません、、
自分の目の前にあるものは、一度受け入れて腰を据えてみる事です。。
自分に都合の悪い事に見える事でも、魂の奥底では、それを望んで呼び込んだ自分の魂の種があるかもしれんのです。。
この長女はそうだったんです。。
もし、親に、長女だが、自分の人生だから、自分で決めて良い。。お前も東京に行きたいならいけば良い、、一度の人生だ。。と言われて、東京に行っていたら、。。今だに自分探しをしているかもしれんのです、。
きっと、親に言われたのでしょう。。
男の子がいない。。長女のお前が継いでくれ、。継ぐしかないと。。
無理矢理やらされた、押し付けられた感覚であったはずだが。。
表面意識という自分の都合では嫌な事、、しかし奥底の魂の種は、それを望んで受け入れて感謝している。。そういう事があるのです。。
無理矢理やらされるという出来事も、、
実は自分が自分で、そういうふうにして、受け入れて腰を据えさせようとするのです。。
そして、見事に咲いた、、
自分に都合の悪い場所で見事に咲いた、、
咲いてしまえば、そこはパラダイス。。
「置かれた場所で咲く。。」
良い言葉です。。私達は幸福という青い鳥が、どこかにいるのだと、探してしまう、.探す努力をしてしまう。。抵抗してしまう、、。
しかし、実は、あなたの咲ける場所は、今ここ。。足元である場合があるということです。
あーなりたい、こうなりたい、、あーでなければならないと、、将来の自分の自分以上の何者かに、変身し、周りの人に評価され、羨ましがられる人生を勝ち取るが幸福?
そうではないのです。。
今、あなたが立っているそこ、その場にあなたが咲く条件は整っている事を知るのです。。
足るを知るです。。
あなたの目の前にある、都合の良い事悪い事。。。
共に、あなたが自分を知るのに必要な経験を、自分で呼び込んで置いて、好きだ嫌いだと、区別しているのです。
必要な経験しか来ません。。
表見的な好き嫌いで物事を安易に判断せず。。
「目の前に在るものは、全て、自分が自分に必要な経験として、自分自身が呼び込んだ出来事で在る。。
だからこれで良いのだ、、きっとこれで良いはずだ、、いずれそう思える日が来るだろう。。」
と、一度受け入れて、腰を据えて、やってみよう、、
すると、自分はここで咲ける。。と、気づくだろう。。
貧乏でも咲ける。。病気でも咲ける、。そういう道がある。。
それに気づけた人は、どこでも咲ける、、永遠の♾️幸福に気づけた人です。不安が消える。
お釈迦さんは、泥の中に咲く、蓮の🪷花の上に座っています。。
お釈迦さんが言いたいことも同じです。
泥の中でも咲ける、。いや、泥の中で咲ける事こそ、真の永遠の♾️幸福であると。。
酒は飲んでも飲まれるな。。。
環境は飲んでも飲まれるな、、
自分中心であり、環境中心ではないのです。
自分の置かれた環境に、一通り愚痴をこぼしたら。。腰を据えて取り組んでみよう。。
すると、その環境は、実は、自分が望んだものだと気づく。。
そして面白くなる、、りんご🍎農家🧑🌾の長女の様にね、、。
僕の話でいうと、、
兄がいて、兄が介護士であるのに無責任、、母を観ようとしない。。
言い訳ばかりで逃げ回る。。
許せない。。。
しばらくそういう気持ちであったが。。
これも、きっと、こういう環境を自分で望んでいるのだろう。。
腰を据えて、人生勉強として、、全うしてみよう、。
何年か後に、きっと。。あーこれで良かった、、人間成長できた。。と、思える日が来るであろう、。
と、やっていたら、、最近はやっぱり。。
自分で望んで母の介護を、心の奥底では、引き受けていること。。
そして、面白くなって来たこと。。
人は泥の中でも、蓮の🪷花の様に綺麗に咲ける。。
環境に飲まれなければ。。
環境の良し悪しが、幸福と不幸を決めているんじゃないんです。
自分の心の在り方のピントを合わすと、、泥の中でさえ綺麗に感じるのです。
貴乃花親方が、親方時代、、引退した弟子に。。
「まずは汚い仕事を喜んで行え。。汚い仕事ほど綺麗なものはないぞ!」
これが解れば人生は怖くないということです。。
今置かれた場所で咲けば良いのです、、咲けるのです。
何も自分探しの旅に出なくても良い。l
自分の居場所は、自分の中にあります。。
自分の種と響く縁は、向こうからやってきます。。
自然とそこに行き着きます、
大事な事は、ないものねだりではなく、、今、目に前にある環境で咲く事。。
そこ繰り返しです。
