心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

仏教解釈 19 落ち込んだらどう上げる

今日は、三重県に嫁いだ朋ちゃん。。

久しぶりの来店です。。

 

いつも心が苦しい😖時は、先生のブログを見ています。。と。

今日は、朋ちゃんからの質問です。。

 

落ち込んだ時、どうやって気持ちを上げたら良いですか?

そうですねえ。。

 

まず落ち込んで上がれないとはどういう事でしょうか?

それは、人生を成功と失敗に分け、成功は幸福。。失敗は不幸だと思い込んでいる。。

 

しかし仏教においては、成功して有頂天になる事も、自転車で言えば転んだのと同じ。。

失敗して落胆したのも転んだのと同じです。。

 

仏教では、成功体験による、有頂天な心も、間違いだと言うのです。

しかし私達は、成功をして有頂天🤩になれた瞬間。。この達成感、。承認欲求。。および優越感を、幸福だと勘違いしているのです。。

 

仏教で言う幸福とは、特別な物ではないのです。。

いつも側(そば)にあるが。。近すぎて見えない。。

それが仏教で言う真の幸福なのです。。

 

しかし、成功する事..目標を誰より早く達成する事。。誰にもできない目標を達成する事によって、幸福は掴み取るもの。。奪い取るものだと。。

「幸福は誰より努力し、失敗しない人に訪れる。。」

と、思い込んでいる。。

 

遠い目的、目標ばかり見ていますから。。

その長い道のりの中で、自分基準での失敗をした事は、幸福への階段を踏み外し、下まで落ちた様な、後悔の念。。しまったあ。。なんでこんな失敗しちゃったんだろ。。

せっかく順調に登り詰めていたのに。。こんな所まで落ちてしまった。。

あー俺は、私は、もうダメだ🙅。。と、落胆してしまうのです。

 

そこに囚われ過ぎて、心ここに在らず。。

産まれる前から平等に与えられている。。いつも側にある幸福に気がつかないのです。。

 

大病した時などに、目前の当たり前の幸福が、当たり前では無い事に気づける。

普通に生きてる、生かされてる事のありがたみがわかる。。

そういう意味では、大病する事も、一つの救いの形です。。

 

人生とは、そのいつもそばにあり、永遠に♾️消える事のない幸福。。それに気づき自覚し、

あーそうだったのか。。幸福は最初からあった。。

足元にあった。。それに気づかず、何年も先の目標、目的に向かって、今日を手段として生きる事で、足元のありがたい幸福に気づけなかったのか!

 

と、気づける様に、運命は仕組まれていて。。

自転車🚵‍♀️は転んで覚える。。

右側に転んで。。成功体験をして有頂天になる。。という心の驕りという転び方をする。。

人より自分は優れていると。。優越感に浸り、心の中で他人を下に見る。。

逆に、成功側に転べず、左側に転んで、それを失敗だと思い込み、それを後悔していつまでも落胆する。

大丈夫🙆‍♀️。。。右に転んでも失敗ですよ。。

 

仏教では、どちらも間違い。。間違う尊い経験です。

エジソンは、失敗とは、こうすると失敗するという発見💡であると。。言いました。

仏教でも同様です。

こうすると間違う。。を経験する必要性があるのです。

 

しかしその間違いを繰り返す事で、環境や結果に一喜一憂しない。。不動心があることに気づいて行く。。

だからいつまでも有頂天に浸る事もなく、いつまでも落胆するでもなく。。

すぐに起き上がり、間違いを反省して、自転車に乗るのです。。

すると、こうすると転ぶんだ、。と、体で覚えていますから。。

起き上がりもう一度自転車に乗ると、。体は転ぶ要素をもう捨てているのです。。

だから、二度と同じ転び方をしなくなる。。

転ばず手放しで乗れる様になる。。

この手放しで運命という自転車に乗れる事。。

自転車の行きたい方向に一緒に気持ちよく向かう事。。

これが無心。。自由自在。。真の幸福、悟りです。

 

例えば、昨日テレビで、能登の震災での花見🌸

桜🌸は震災を経ても、、去年と同じ花を咲かす🌸訳です。。

花は🌸震災に囚われていない。。

お釈迦さんが。。泥の中に咲く、ハスの🪷花の上に座っている。。

 

これも同じで。お釈迦さんが言いたい事は、震災だから不幸ではないぞ。。

でかい家に住んで家にプール🏊‍♀️があるから幸福なのでも無い。ー

不自由イコール🟰不幸ではないのだ。。

自由イコール🟰幸福でもない。。

そのどちらにも囚われない心こそ、自由自在心なのだ。。と。

 

泥の中に咲くハスの🪷花を見よ。。

能登の震災地に咲く桜🌸を見よ。。

震災だから不幸だ。。と、思い込んで落胆しているのは人間だけであると。。

人間に与えられた幸福も、泥の中に咲くハスの🪷花の如く。。震災の地に咲く桜🌸の如く。。

自分を取り巻く環境に左右されないのだ。

これを仏教で、無碍自在(ムゲジザイ)と言います。

 

あいつが、あーだから俺は不幸。。環境がこうだから俺は不幸。。

では、あいつがいなくなれば、自由で幸福なのか?

環境が良ければ自由で幸福なのか?

 

そういう幸福は、時が経ち、また同じ様な人が職場に転勤してこれば不幸となる。

環境が悪化すれば不幸に逆戻り。。

 

それを自由自在とは言わないのです。。

本当の幸福。本当の自由自在とは、無碍自在。。

どんな自分に不都合な事も、それに囚われない。。

環境に囚われない心。。それが信心であると。。

 

泥の中でも咲ける、。震災地でも咲ける。。

そういう花🌸、心を皆、最初から持っているのですと。。

その心に気づき、自覚しなさい。。と。

その心は、成功して有頂天に高揚する心でもなく、失敗して落胆後悔する心でもない。。

そのどちらでも無い中庸の心があります。。

その心で自転車に乗れば、転ばないのです。

 

そういう仕組みです。。

ですから、成功して有頂天になる事も。失敗して、、負けて後悔する事も、どちらも、間違えているから苦しいのです。。

ならば、その間違いを、認め受け入れる。。すると間違える心は現れては消えて、間違えない心、自由自在心と入れ替わっていきます。。

そしたら、悩み、迷い、苦しみは消えていきます。

環境そのままにです。。

 

今、、このままで幸福。。であった。。

それに気づき自覚する。。それが悟りであり、自由自在心。。宇宙から分けられた分け御霊。。頂いた回向された信心であり、真心なのです。。

なんとなくお分かりいただくだけで良い🙆です。

仏教の奥義は、体で体得するもの。。頭では分かりません。。

皆さんに毎日起こる体験に、一所懸命向き合ってください。。

そうすれば、体が解ってきます。