お経といえば、葬式で、死んだ人向けの弔いだと、思っていませんか?
葬式仏教により、お経は、死んだ人向けの弔いになってしまった。。。
私達は、長らく、葬式仏教に脅され、騙され、死人に口なし。。。
死んだ人の為に、法事をして、お経を読んでやらないと。。。
故人が浮かばれない、。。成仏できない。。バチが当たる。。
戒名をつけてやらないと、、あの世での呼び名が無い。。
そんな、僧侶が、あの世を見て来た様な嘘をつく。。
もし、僧侶が、本当にあの世が見えるのであれば、、
そんな事は嘘だと、分かるはずなんです。。
仏教とは、お釈迦さんが、生きてる時に、生きてる人向けに説いた教えの議事録です。。
十代弟子が、お釈迦さんが、こんな事を言っていた!。。
と、書き残した経典が、7000あると言われています。。
しかし、それは、生きてる人が、どう生きるかを、説いたものなのであって。。
つまり、肉体と、肉体意識(煩悩)を持った人間が。。
本体である魂の光💡を、そのまま地球に照らすにはどうしたら良いのか?
肉体意識で、その光を曇らせてしまうのは何故か?
お釈迦さんの説いた教えは、一言で言うと。。
煩悩即菩提(ボンノウソクボダイ)なのです。
これは、現代訳すれば。。
肉体意識。。煩悩を持ったまま、仏心になれる。。
煩悩は消すことができない。。しかし、煩悩を活かす事はできる、。
煩悩は悪ではない、、煩悩の使い方の誤解があるのだと。。
包丁🔪を、料理に使う人もいれば、包丁で人を殺す人もいる。。
包丁(煩悩)が、悪いのではないのである、。
包丁を使う魂が、成熟していないだけだ、。まだ光💡が届かない闇があるのだ。。
と、肉体を持つが故に苦しむ。。人間。。
しかし、だから肉体を抹殺すれば、苦しみが消えるわけじゃないし。。
煩悩は、消すことなどできないのである。。
何故なら必要だから。。
せっかく頂いた肉体を、ありがたく、活かして生きていけば良い🙆。。と。。。
つまり、仏教とは、肉体を持つ人間の苦しみから脱する方法を説いた教え。。
死んだら肉体は無くなる。l
つまり死んで肉体を失った故人向けの教えではないんです。。
法事をするのも良いでしょう。。
しかし、法事をしないと先祖からバチが当たるとか。。
そういう脅しに屈して、高いお金を払って来た。。
そういう脅しに金を払う習慣はやめていこうという事です。。
それは、医療もそうでしょ?
脅されて薬を飲み、脅されて手術をする。。
飲まないと、手術しないと、。死ぬよ!と、医者は言う。。
皆保険で安いからと。。。
安くないですよ、、健康保険料高くないですか?
結局、私達が払っているのです。。
法事は、生きてる私達の為の法事です、l
私達、子孫の勉強会、、それが法事であり、それをあの世から授業参観してる先祖がいる。。
そんな感じです。
生きてる人向けのお経。。
それを生きてる人が勉強をして、その理解が光💡となり。。血縁のある先祖を照らすのです。
それで位が先祖も上がっていく。。
それが本当です。
ですから、何も法事をしなくても。。川村整体の仏教解釈を、何度も読んで、勉強してることこそ、、先祖供養となっているのです。。
法事という形ではないのです。
