嘘も方便という言葉。。最近聞かないですね!
僕の子供の頃は、嘘をつく事を正当化する言い訳の様な使い方で、嘘も方便だよ🤥。
と、よく言いましたね。。
さあ、方便と言う言葉。。仏教では偽物という意味です。。真実と偽物。。この偽物の事を、仏教では方便と言います。。
しかし、現代でいう偽物と言う意味ではなくて、似せ物。。
つまり、真実に似せた物と言う意味です。
ここからは、方便を似せ物として説明していきます。。
僕は、30歳前後で、自分で書店を経営していた事は、何度かブログで説明しました。。
その書店は、新刊販売と共に、当時はやり出していた、ブックオフ的な、中古本の買い取り、販売もしていました。
当時としては、まだ新しいやり方で、多くの方が、本を📕売りに来てくれました。
「あんた、良い事始めたねえ。。本好きの人は、本を捨てれないんだよ。。これでここに売って、また新しい本が買える。。いやあ良い事始めてくれたよ!」
なんて、言われましたね!
それで中古本を買い取り販売する様になって、気づいた事。。
これがまさに、バリバリの本物、真実が書かれた書籍は、売れない。。という事です。
売れるのは、真実に似せた内容で、しかも偽物である本がよく売れる。。
これに気づいたんです。
何故?こう言う事が起きるのか?
それは、真実を描いた本は、真実過ぎて理解できないし、真実過ぎて、煩悩をくすぐる内容が無いため、面白くない。。と、思うからです。味気ないんです。
これは、マクドナルドの味付けの濃い味は美味しく感じるが、上級の和食屋で出てくる食事は、味が薄くて、美味しく感じないのと同じ。。
しかし、本物に似せた、偽物本は、真実の匂いをさせながら、煩悩をくすぐる内容も描かれている。。これが一番煩悩でできた人間の心を惹きつける。。
投資詐欺に引っかかる人が後を絶たないのも、投資について真実を語りながら、必ず儲かる。。という煩悩をくすぐられるから、はまってしまうんです。
新興宗教団体の信者が減らないのも、その教義が、本物の匂いがするから、そして、本物の匂いをさせながら、煩悩をくすぐる。。欲望を煽り立てる。。
これが一番人をやる気にさせるのです。
一部マルチ商法も同様です。
信者を勧誘して増やせば、献金額が多ければ、徳が積まれ、あの世で天国に行けるとか、その行為によって、地獄で苦しむ先祖も救うことができる。。とか、そう言う嘘を解かれることで、人の為に生きる事が善。。だと洗脳された信者は、自分のやってる行為が、煩悩そのままの行為で、むしろ業を増やして、先祖も頭を抱えて泣いている事に気づかないのです。
しかし、仏教におけるお釈迦さんの解釈は、決して、似せ物、偽物けしからんじゃないか!
ではないんです。
むしろ、積極的に、似せ物、偽物を体験しなさいと言うのです。
真実を知るには、方便、似せ物を通過する必要がある。。だから似せ物は必要なんだ。。
僕の得意な理論。。自転車🚵♀️理論がそうですね!
自転車は転んで覚える。。
転ばなければ乗れる様にならないし、転ぶことを繰り返してさえいれば、身体が勝手に理解して、いつしか乗れる様になります。。
これは、災い転じて福となす。。煩悩即菩提とも同じです。私達、肉体を持ち、肉体に付随した煩悩でできている人間の宿命です。
いきなり、真実を伝えられても、煩悩という分厚い雲が邪魔して入っていかない。。
誤解して解釈してしまう。。
ならば、本物の匂いをさせながら、煩悩も煽り立てる教えを、方便としてまずは解き、そこにハメさせて、やらせてみる。。やらせてみた上で、どうもこれは間違いでがないのか?
と自分で気づかせる。。気づいたら、その気づいた間違いを分厚い雲ごと捨てさせる。。
雲は執着です。。
すると、そこに、雨上がりの虹🌈が立ち上るだろう。。
煩悩が菩提心に昇華するだろう。。
これが煩悩即菩提です。
そう言う解き方をしたのがお釈迦さんです。
それが、7000冊あると言う経典、仏教の歴史です。
キリスト教が、誤った解釈をされたのは、イエスさんが、お釈迦さんの様に、方便を使わなかったからだと。。僕は思うんです。
僕自身が、隠し立てしませんが、大学生の頃、今話題の、統一教会の勧誘を受け、信者であった経験があります。
これは、縁があって、似せ物を体験する縁があったのです。
しかし、この統一教会での体験があったからこそ、今、真の宗教である仏教。。そして仏教で方便として解かれたと言われる、聖道門仏教。。それは難行苦行で、山に籠り、自分の体をいじめて、肉体に付随した煩悩を剥がせば、悟れるんじゃないか?
それをやらせる事で、その自力修行では悟れない事を体験させる。。
そこで、浄土門。。法然さん、親鸞さんに代表する、他力仏教。。阿弥陀如来によって生かされている事を知り、その信心を受け取り、阿弥陀如来のすすめるままに、生きる事こそ、あるがままなのです。
無為にして為せ。。無為自然。。無碍の一道なのです。。と。。
そこに導く為の、自力難行苦行時代があったのです。
お釈迦さんでさえ、いきなり煩悩まみれの人間に、他力浄土門を解いても、他力本願だろうと、誤った解釈が広まり、世の中が乱れると、知っていたのです。
今でもそうでしょ。。他力仏教は、今でも他力本願。。と、怠惰なお願い仏教だと勘違いされている。。阿弥陀如来にお願いして、あの世で助けて貰える仏教だと。。
これも、きっと法然さんが、そう言う解き方を民衆にしたのだと思います。。
字も読めない民衆に、まずは仏教に、興味を持たせるには、似せ物として解くしかなかった。。
それも真実に入る前の方便、似せ物として解いたのです。
その後弟子の親鸞さんが、法然さんが本当に伝えたい事、本当の他力とは、こう言う事です。。と、伝えた。。
僕のブログの内容は、ほぼ、この正しく他力仏教を理解する事こそ、安心立命の船に乗り、大船🚢に乗った心持ちになる唯一の方法なのだ、。と言う事を知っていただくブログです。
是非、縁あって、僕のブログを見つけた人。。
他力仏教を、勉強してみて。。
まずは僕のブログから。。