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自分の体や行動、思考、感情が現実味を帯びていないように感じる。
- 例:「自分自身の行動をどこか遠くから見ているようだ」「まるで夢の中にいるようだ」
- 例:「自分自身の行動をどこか遠くから見ているようだ」「まるで夢の中にいるようだ」
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周囲の世界が現実的ではなく、ぼやけている、あるいは遠くにあるように感じる。
- 例:「周囲の人や物が現実的ではなく、映画のワンシーンのように感じられる」
- 例:「周囲の人や物が現実的ではなく、映画のワンシーンのように感じられる」
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世界が色あせて見えたり、物の形や大きさが違って見えたりする。
引用終わり。。
何故こうなるのか?
西洋医学では分かっていない様です。。
しかし整体的には分かっていて。。
例えば、、普段大勢の人の前で、話をした事がない人、、歌を🎤歌った事が無い人が、、
いきなり壇上で、何十人の前で話をする時、、歌を歌う時。。
普段の自分の内側から外側を見る視点、、感覚が現実的視点であるとしたら。。
大勢に見られていると。。みられていると言う意識が過剰になり。。自分の意識も、自分の外側に出てしまい、、外側から自分を眺める視点になるのです。。
僕も、中学3年時、。体育委員で。。代表で(何故代表になったのかは覚えていない)。。
朝礼台に上がり、、「只今より、体育祭を始めます。。」と、宣言した。。
1000人近い人達に見られている。。
この状態は初体験。。
僕は自分を失い、浮き足立ち、、自分が分からなくなり、、現実感を喪失してしまった。。
見ていた友人から、
「お前落ち着きなかったなあ。。朝礼台の上で、モソモソしてたぞ!」
えー😱。。俺はちゃんと直立していたつもりなんだけど。。
人間は大脳が発達しており、、大脳を使いすぎる事イコール🟰。。自分の身体側から外を眺める視点から、、自分はどう見られているのか?
好かれているのか?嫌われているのか? 評価されているのか?
外から自分を眺めて自分の行動を決めるパターンが優位になてしまう。。
これは、自分を知らない、、自分がまだよく分かっていないが故に、、自分を信じて生きる事に不安がある、
だから自分の方向性を決めるのに、、自分の方向性を決めてくれる、、占い師や宗教団体に依存してしまい、、自分で自分を洗脳してしまう。。
また、人の評価に依存して生きる。。
そう言う事になってしまう。。
それが続いていくと、自分を信じて覚悟して決断する生き方ができなくなり。。
いつも大脳エネルギー過剰、イコール🟰、外から自分を眺めて方向性を決める。。
そのアンバランスを元に戻そうと。。
身体は、身体から外に出てしまった意識を、、自分の身体内に戻そうと。。
思いっきり意識を外に出し切って、、その反動で戻そうとするのです。。
これが離人症状態であり、、病気というより、自分を取り戻す為に、身体があえて起こしている症状と言えるでしょう。。
幽体離脱をする人がいるが、。
あれも同様で、、自分を外側から眺め切る事で、我に返り、意識を自分の身体に戻すプロセスと言えるでしょう。。
幽体離脱をしがちな人も、エネルギーが大脳に集まりすぎている人に起きるのです。。
金縛りもそうです。。
また幻覚や幻聴も、頭にエネルギーが集まり過ぎた時、眉間からいきなり排泄される時に起きます。。
例えば、初恋、。大好きな女性の事をいつも想い、のぼせて鼻血を出す。。
つまり、妄想する訳です、、
妄想とは、幻聴、幻覚と言えるのです。。
幻聴、幻覚、、または怖い現実的にはありえない夢を見る事。。
これらは、意識が自分の身体の外に出てしまうほど、大脳エネルギー過剰。。
それによって起きる妄想、、
それを幻聴、幻覚、、ありえない怖い夢を見る事で、エネルギーを解消している姿です。。
俺の兄貴は、発達障害だと思うが、
時々、妄想で話をしてくる事があり。。
現実にはなかった事を、あったことの様に話をしてくるんです、。
妄想を現実と思い込めてしまう、。
妄想と現実の区別がつかないんです。。
それを、意識が急に自分の深夜に戻った時。。
修行時代の後輩の様に、
うん? これは現実なのか? 現実だと、、どうして言えるだろうか?
と、、思うんです、。
オウム真理教の修行は、
あえてこのプロセスを修行に用いる事で、大脳にエネルギーを集め、、トランス状態を起こし。。妄想が出てくる。。それを解消しようと現れる、、幻聴、幻覚を、、神の声を聴いた、、神の姿を見た、、と、、解脱できた、霊眼が出て来た、
と言う勘違いだったと言えるのです。。
お釈迦さんははっきり言い残しています。。
修行🧘♀️中に、神様が見えても、神様の声を聞いたとしても、、
そんな事は、修行と関係ない、、
大事に事は、そんな事にさえ囚われない心であると。。
