生き方とは、息の仕方であり、食べ方なんです。。
呼吸を見れば生き方が判るし、食べ方を見れば、生き方が解る。。
歩き方や、姿勢を見ても生き方が解る。。
心の在り方は、そのまま息の仕方となり、食べ方となり、動き方、姿勢となるのです。。
お釈迦さんは、「人間は、武器を持たない動物」だと言いました、、
この意味は、牙や、爪を持たない人間は、本来、獲物を殺して食べる生き物ではない。。
自然の恵みで育つ命を、自分の命に有り難く、変換させる食べ方が、本来の人間の心の在り方であり、食べ方、。それが自然であり、あるがままなのであると。。
修行僧の精進料理とは、、
逃げる物を食べない。。
動物も、魚🐟も逃げますよね?
人間は、逃げるものを、捕まえて食べる生き物ではないんだ。。
というお釈迦さんの思考を、昔の修行僧は、禁欲と履き違えて。。
肉🍖を食べてはいけない。。魚を食べてはいけない、、。
と、してしまったのです。。
それは間違いです。。
それで昔の座禅の🧘♀️修行僧は、ビタミンB不足で、脚気になったのです。。
しかしお釈迦さんは、逃げるものを捕まえて食べるな。。と、禁欲を勧めたのではないのです。。
人生の中で、「足るを知る」を、理解しなさい。。
足るを知るには、足らないと思って、生きる。。という間違いを体験する事が大事です。
間違いを理解する事イコール🟰正しいを理解する事です。。
エジソンが、失敗を、失敗とは、こうすると上手くいかないの発見である💡と言いました。。
お釈迦さんの教えも同じなんです。。
煩悩即菩提。。お釈迦さんの教えは、この一言に収まります。。
現代訳すれば、雨降って☂️地固まる。。
災い転じて福となす。。雨が☔降らなきゃ虹が🌈出ない。。
怪我の功名。。など。。
それの意味するところは、足るを知らない心で息で、食べ方で、動き方で、生活すると何が起きるかを体験しなさい。。
足るを知らない無理解な心は不自然な心。。。
調和を知らない、。肉体要素、大脳優位の心で生きている、、
肉体要素優位で。。自己意識優位で生きている次元。。足るを知らない次元で生きる状態は、
その優位に働いている、肉体要素にエネルギーを循環させる為、、肉類、砂糖類、あぶら類を必要とするのです。。
しかし、足るを知らない体験を続けると、、その次元は有限である為、、必ず始まりと終わりがある、。
つまりいつの日か壁にぶつかる💥。、それを実力で突破できるうちは良いが、それも不自然な息の仕方であるから、、体は、その息の仕方、食べ方は間違いだよ!。。
と、怪我、病気にして、強制脱力させて、その息の仕方ができなくする。。
脱力して、在るがままに戻ったとき。。その息の仕方と食べ方、、体の使い方は。。
消える、、変換させる。。在るがままに。。
つまり、足るを知るに、転換していくのです。。
これをお釈迦さんは、煩悩即菩提、。と言ったのです、。
禁欲したって、足るを知る事はできないだろう、。
足るを知らない生き方、、息の仕方、、食べ方をしてご覧、
有限な世界には終わりがある。。
必ず体を壊し、心を壊す、、
そしたら、素直に間違いを認めて、受け入れて脱力しなさい。。
すると、足るを知らない、肉体要素優位の心、、肉体に付随した意識が、、脱力して、足を知る実在の心、、生かされているがまま、在るがままに生きていた真の魂の心と入れ替えられる。。
その、間違いを知った事イコール🟰正しいを知った。。
これが理解なので在ると。。
お釈迦さんはこれが言いたい。。
禁欲など推奨していない。。
間違えて病気にならなきゃ分からない事がある、
間違えて怪我しなきゃ分からない事が在る。。
禁欲して、間違わな様に生きても、理解は産まれない、。
病気しない様に生きる事が正しいのではない。。
病気にならない様に食べるのが正しいのではない。。
足るを知る、.これを理解できる道が正しいのだ。。
煩悩即菩提、、欲望転じて仏心を知る。。
失敗を繰り返し🔂。。肉体要素の優位な心から、霊要素優位の心に転換される度。。
霊性要素の肥やしとなる、土の恵み、、穀物菜食で、充分足るのだ、、と、体ごと理解して、自然と大食いは鎮まり、肉食、甘いもの、脂ものが不味く感じるようになり。。。
穀物菜食を食べる時、霊性要素のロウソクの🕯️炎🔥が、より明るくなる静かな快感を感じて、ありがとうございます😊。。と、言わずにいられない心境を知るだろう。。
禁欲では理解は産まれない、、
間違えて分かる、
食べ方を押し付ける主義は、禁欲主義です、。。
あまり食べ物に理屈を付け加えて食べない事です。。
その主義で、病気にならない、、病気が治った。。
でも足るを知るは分からない、、なら、病気になって、足るを知る事のが大事なのです。
美味しいか食べる、、美味しそうだから食べる。。
不味いから食べない、、不味そうだから食べない。。
その本能に従っていれば。。
肉体要素の美味しい、、は、必ず体を壊してくれるし、、その度に脱力し、魂の美味しいに転換していくのです。
そしたら、禁欲などせずとも、肉類は不味いと感じ、甘いものもさほど要らない。。少食になる。。
粗食とは、粗末な食べ物ではありません、。
足るを知る魂の食べ物としては充分なのです。。
ただ、肉体要素優位の次元では、肉体要素の栄養としては足りないのです。。
ですから、、あれ食べちゃいけない、、あれを食べなさいではなくて。。
食べ方を強制するな、と言いたいのです。
食べたいものを食べながら、何が間違いで、何が正しいのか?を理解し、入れ替えていきなさい。。
煩悩即菩提。。禁欲から理解は産まれない。。
なんでも食べてみれば良い。。
また、間違う事を、容認し合える社会が、正しいのです。
間違いを知る尊さがあるから、正しいを理解できる。。
間違わせてくれる慈悲がある、それが仏教なのです。
平均回帰の法則です。
横揺れを繰り返しながら、縦揺れに転換していくのです。
天と地を結ぶ縦揺れの世界は無限♾️の恵み、。
始まりも終わりもないのです。
奪い合いもない。。
足りているのですから。。
土の力に有限はないでしょう?
雑草は永久に生えてくる。。