心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

人の為と書いて偽りと読む

人の為に。。と意識した時は、必ずセットで、人の為にした事に対して評価して欲しい。。感謝して欲しい。。という見返りを欲しがる欲望があります。

それが解ってるからこそ、見返りを求めず、人の為に尽くすのが善だと言われる訳です。それは無理な話です。

見返りを期待していながら、してない振りをしているに過ぎない。。

そういうウソを自分につき、人につくからこそ、宗教団体に所属している人は、言い方悪いですが、ウソ臭い。。偽善ぽい。。怪しい。。のです。。

そういう人に勧誘されて、興味が湧くはずがないのです。輝いてないですから。

私自身、学生時代、信仰宗教団体に所属し、見返りを求ず、人に尽くすのが善だと思っていた事がありますが、自分でやってて、自分が偽善に見えてくる。。心の底からやってる気持ちになれない。。演じてる気がする。。

 

そんな時、整体の師匠と出会い、言われた事が、しっくり来ました。

「人の為にやるのではなく、常に自分の為にやりなさい。。自分の為というと、悪い事の様に思う人が多いが、違います。

人は自分の為にしか生きられない様にできているのです。。

ただそれは、自分の為と人の為が分かれた自分の為ではありません。。自分だけの為ではないのです。

本当の自分の為とは、自分の為でもあるし、他人の為でもある。社会のためでもある。。それは全ての為であるのですから、無為に等しい。。

他人の為にやる事が、評価を期待している行動ならば、評価してくれる人、評価して欲しい相手には頑張るが、評価してくれない人、また、別にこの人には評価されなくていい。。と思う人には、手を抜くのです。。相手によって態度が違う人間になります。それは、自分の為にならないのです。そして周りの人のためにもならない。。

常に自分の為に生きてる人は、相手が誰でも、環境も関係なく、いつも一所懸命なのです。あの人は裏表がない。。と信頼も得ます。

その姿は、周りの人まで、一所懸命にしてしまうのです。

打算のない姿は、あくびが映る様に、周りを変えていくのです。

自分の為に生きるとは、打算なく、全て自分の事として生きるという事。。そこに他人事はないのです。。人の為とは、他人事を生み、やってあげてる。。というエゴも生まれる。。やってやったんだから、評価しろ。。となるのです。」

 

私は、二十代の頃、この話を聞き、衝撃を受けました。。その後20年以上、自分の為に生きています。。それをエゴだと言われた事はありません。。むしろ、あなたは、何故そこまで、僕の為にしてくれるのですか? 何故そこまで親身に付き合ってくれるんですか? と言われたことの方が多い。。

自分の為に生きてる姿こそ、周りの人は、自分の為にしてくれていると感じるのです。

そこに打算がないからです。そして、人の苦しみを、自分の事として行動するからです。

打算のある、人の為、例えば、国民の為。。お客様の為。。あなたの為を思って言ってるのよ。。どうですか? 嫌な気持ちになります。。本当の自分の為には、打算はないのです。。

だから人の心うちます。。

彼女の為に買ってあげたはずのブランドバッグを、別れ際に返せと言われた。。自分の為に、彼女に買ったものなら、返せとは思わないはずです。

そこに、こんな高級な物を買ってやったのに、見返りを返さない事に、不満になるのです。ならば返せと。。裏切られたというのです。