心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

承認欲求と正常性バイアス

人は誰でも人に評価されたい、。という欲望を持ちます。。

何故そういう欲望を持つか?というと、目に見える世界が全てだと、誤解しているからです。

 

今まで何回も紹介してきましたが、私達が生きているうちの、目に見えてる世界は、氷山の一角です。。

私達は、もっと大きな存在(気)に、生かされている。。

私ではない、和多志達なのです。。

目に見えない世界では、気の世界では、私とあなた。。という分離、分断した概念はなく、一つに繋がった、一つの存在なのです。

以前書いたブログ、私と和多志をご覧くださるとわかりやすい。。

 

目に見える世界では、私とあなた。がいる前提での私という個人です。

でも見えない世界では、私ではなく、全体の中の個である和多志です。。

それが、身体で解れば、他人に評価されたい。

という承認欲望がなくなるのです。個は全体で、全体は個だからです。

腹が座り、自分がどうしたいのかに重きが置かれ、人の評価に振り回されない、いわゆるブレない、腹がきまった人になります。

その自分がどうしたいのかも、全体としての個としてどうしたいのかが、わかるようになってくる。。

 

ただ、この情報過多社会では、言葉という物が、私とあなたを分断していくのです。

言葉とは、同時に喋れないでしょう? 言葉とは、言の枝葉と書くのです。

相手が話すのを聞く。。そして私が話す。。

これが言葉のコミュニケーションです。。

行って帰ってくる。キャッチボールです。。

それを繰り返せば繰り返すほど、私とあなたは、別の存在だと、錯覚していくのです。

障害のある言葉をうまく操れない子が、動物とのコミュケーションが上手だと言われる所以です。言葉という分断が起きるコミュケーションを取らないから、動物と一つになれるのです。

 

これが人の為という概念と、人に為にやってやった事に見返りを求める。。という概念、欲望が生まれるのです。

キリスト教団体では、人の為に行い。。しかも見返りを求めない事が善だとされます。。

無理です、。そんなの偽善です。

人の為に善行をすれば、徳が積める。。という考えも間違いだと解りますね。

それ自体、徳という、見返りを求めているじゃないですか?矛盾です。

大切なのは、人の為という、私とあなたを分断する概念、次元を超えて、和多志の世界に入ることです、。次元を上げる事です。

 

音楽は、、何が良いかというと、同時なんです。。踊りもそうです

整体もそうです。

演奏者も聞いてる人も、同じ音を聞き、共鳴、共振し、オーケストラ状態に気が拡がるのです。

そこに、分断が、調和に変わる。。

その気持ちよさがあるんです。。それが祈りなんです。祈りとは、お願い事ではなく、統一する事です。調和し直す事です。

先日、お客さんが、「先生は手がいつも暖かいけど、冷たくなる事あるんですか?」

「ありますよ。。整体をしてない時は冷たいですよ!あっ。お客さんは良く、僕の手が暖かいと言いますが、これは、僕とお客さんの気が共鳴、共振した暖かさで、あなたの暖かさでもあるんですよ!今、気が共振して僕とお客さんを循環しながら、増幅しているのです。

だから、僕も整体しながら元気になっていくんです」

整体も祈りです。

 

さあ。。目に見える世界しか見えない人にとって、私とは、とても孤独で不安な状態です。。自分に価値や意味をつけないと、丸裸な感じがして不安なのです。

だから何かを身につけようとするのです。大きく見せようとするのです。

 

その不安を打ち消す方法として、人に評価される事で、自分の存在価値を、または自分が生きてる意味を見出そうとするのです。

 

官僚が、忖度して、嘘をつくのは、それが政府の評価に繋がり、出世につながるから。。

 

それが酷くなると、ひとの評価依存となり、人に評価される生き方に寄せてしまい。。

自分が本当はどうしたいのか?は、二の次となります。。見えなくなります。

人の評価は、言い方悪いですが、お酒と同じです。

自分の不安を、評価される事で誤魔化しているのです。。

アルコール依存ならぬ、評価依存の状態です。

 

それでも、官僚が、文書書き換えが、政府に評価される仕事だとしてやっても、最初は良心の呵責があるのもです。家族の反対もあるでしょう!

 

ここで出てくるのが、最近テレビでお馴染みの、正常性バイアスです。。

人間は、自分の良心、または本心とのギャップという苦しみに向かい合う事から逃避する為に、自分の良心を自ら麻痺させ、自分のしている事は正しい。。自分は間違えてないと、思い込んでしまうのです。。その方が楽だからです。

 

この流れを意図的に行うのが洗脳です。。カルトです。

多くの邪な宗教団体。。これは、人間の承認欲望をくすぐり満足させ、評価します。。評価依存に陥いった信者予備軍は、さらに評価される為に、頑張るでしょう。。しかし、その過程でどうしても起きる、良心との呵責を、洗脳で、麻痺させて、正常性バイアスに持ち込み、宗教団体に都合の良いイエスマン。。洗脳された信者を製造するのもです。。

こうなると、もう親では説得できない。。厄介です。

 

若い子達は、この免疫がないので、宗教に勧誘するには容易い事です。

だからそこを狙い撃ちするんです。大学の周りには、勧誘の人がいっぱいです。

僕も、金山駅付近で、大学生の頃勧誘され、半年ほど在籍したのでよくわかるのです。

 

もし、大学生ぐらいの子を持つお母さんは、このブログを見せて免疫をつけておくと良いでしょう。見せても、入っちゃう人は入っちゃうんですけどね!