人の為に生きる。。とは、肉体次元で相対的世界です。
自他分離の世界です。
自分の為に生きる。。和多志の為に生きるとは、魂次元。。気の世界に生きる事です。。
自他一体感覚です。。
何が違うのか? 整体に例えてみよう。。
僕がお客さんの為に気の治療をすれば、お客さんと僕は、別の存在となり、自分の体内で練った気、エネルギーを、お客さんの中に投射して病気を治す。という世界となります。。
中国気功は、私も中国人から習いましたが、そういう世界観でした。
つまり、肉体次元の気。邪気を自分の体内で練り、お客さんに流し込んで行くわけです。。
その分、施術家の方の気は。減ると考えられています。。
お客さんに増え、施術家が減る。。こういう相対的次元が、人の為の次元です。。
だから、犠牲の精神と尊ばれているのですが、間違いなのです。
逆に、僕の様に自分の為に施術している人。。
これは、和多志の為にしているのであり、私と和多志①を読んでもらうと解りますが、和多志は、全体の中の個としての和多志。。であり、同時に個人であり全体でもある和多志として行う、気の施術です。。
これは魂次元で、絶対的次元です。。
これは、大自然の気を、全ての存在に還流させる澄気の施術です。。
合気の世界です。繋がる気の世界です。。
愛気の世界でもあるのです。。
邪気の様に、プラスマイナスゼロの世界ではなく、全ての存在に気を還流させながら、僕もお客さんも大自然も、すべでの気のレベルが、相乗効果的に上がるのです。。
掛け算の世界です。どんどん広がっていく。。
だから、私は施術する度に、お客さんと気の交流を通じて、気のレベルを増幅しているのです。
お客さんも同様。。見学してる人の気のレベルさえ上げてしまうのです。。
よく、お客さんに、気とは気功の事ですか?
と聞かれて困るのですが、なんとなく解ってもらえましたか?
この例から解る様に、人の為に生きるとは、自己満足の世界です。。
幸福が移動してるだけで、増幅はしないのです。。
このコロナ禍を見れば解ります。。
自分の為に、和多志の為に生きることができれば、全ての存在を元気にしていくのです。。
それを、大きな視点で言えば、全ての存在の為に生きる事であり、無為無心と言えるのです。。
和多志の為に生きる。。これを自分の利益の為だけに生きる事だと勘違いする人が多いのです。。それよりは、人の為に自分を犠牲にする方が善ではないか
そこらへんで、迷っているのですね?
もっと上の次元があるのです。。
僕のいう自分の為に生きてください。。の意味は、和多志の為に、ぜひ生きてください。。
それは、知らず知らず、家族、友人、日本をも、元気にしている行為なのです。