心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

愛とは自他一体感

整体を始めて3年目ぐらいだっただろうか?

ある女性のお客さんが、「先生、愛とはなんですか?」

 

この疑問は、誰でも一度は持った事があるのではないでしょうか。。

一般的には、愛というと、見返りを求めず、人の為に生きること?

犠牲の精神みたいなものを愛だと、理屈上理解して、無理矢理納得している。。

というのが現場でしょう。。

 

結論から言ってしまうと、愛とは、合気道の合う。。であり、自他一体感なんです。。

これは理屈では説明しにくい。。

 

自動車は、何千個の部品を、溶接したり、ネジを絞めたりして、一つの自動車が🚘完成します。。

しかし、人間の体は、一つの受精卵が、細胞分裂を繰り返して、一つの身体になるのであって、部品の集まりじゃないんですね。。

 

耳も、足の指も一体なのです。

よく、ぼくの整体で、全然違う所の施術で痛いところが痛く無くなったりする事に、びっくりされます。。

体は、どこを触っても全体を触っているのと同様です。。

その理解がある施術家にとっては、何処からでも治せる。

人間はどうでしょう。。

 

宇宙神と言われる、空海さんに言わせれば、大日如来が、細胞分裂を繰り返して、陰陽に分かれながら、物質化したのが、私達です。。

 

肉眼で見ればそうなのです。。

 

私達は、バラバラの別々の存在に見えます。。

だから、自分と他人がいる様に見える。。

 

だから、他人事が生まれる。。

例えば、東北大震災が起きても、愛知県ぐらい離れていると他人事ですよね!

 

だけど、テレビを見ていたら、豊橋の学生が、自分のことの様に辛くて、何もしないでいられない。。という事で福島に引っ越して、一緒に、震災復興の仕事をしている子がいました。。

これは愛ですね!

自他一体感です。。

 

これは、私達ではなく、和多志達として生きている人です。。

自分と他人が分離していないのです。。

東北の人の辛さが、自分の辛さでもある。。

だから、何もせずにはいられない。。

自分の事として行動したのであって、東北の人の為に動いたのではない。。

だから最初から見返りなんて求めてない。。

 

キリスト教に様に、人の為に生きなさい。。でも見返りは求めない事。。

違うんです。。解ります?

キリスト教の人は、間違えて解釈しちゃってるんです。

 

自他一体感。。これが愛なんです。。

昨日も、大雨で洪水して、浸水して立ち往生した車を、見知らぬ人が押している映像をテレビで、見ました。

あれも同じです。。

愛とは、人の為に、自分が犠牲になることではないのです、l

自分のことの様に辛いから。自分の事として動く、そして自分の事として喜ぶ。。

 

分かち合うのです。。分かち合っているのです。

最初から。。

和多志達は、大日如来と一つです。。和多志と大日如来は同じです。

キリスト教の様に、神と人間は向かい合う存在ではなく、一つなのです。。

仏教では、そう書いてあります。。

 

そして、私も、皆さんも、見えない気の世界では、最初から繋がっているのです。。

それが解ると、不安が消えるのです。

何故? 他人に求める心が消えるからです。。

不安とは、自分が他人や環境に、期待した事に対する不安です。。

そして、それを知らないから、不安をかき消すように、SNSで繋がろう。。とするのです。。

気を使って繋がろうとする。。

そして、仲間外れにならない様に即レスしないわけにいかない。。

そういう不安の中で生きているのです。。

それで過呼吸を起こしているのです。。

 

私も、豊川に住んでる頃。。散歩中。

田んぼに軽トラを乗り入れたら、泥にはまって出れなくなってる老夫婦がいました。。

一度は、通り過ぎたのですが、あの老夫婦2人で出せる訳ないな。。

と、もう一度、戻り、3人で出したのです。。

それも愛です。。

老夫婦のおばあちゃんの方が、僕の行動に感動して、「あんた、これ持っていきなさい」

と、二千円を、僕の手に握らせました。。

「いいよ。いりません。。」「貰ってくれないと気が済まないんだよ」

これも愛です。。いつもなら出来るだけ払いたくないお金を、貰ってくれないと気が済まない。。こんな気持ち。。人生の中で何回あります?

「じゃあ、遠慮なくもらうね!」

これも愛です。

メルカリ  で、商品買うと、こういう手紙を添えてくれる人がいます。。

これも自他一体感を感じます。

愛ですね。。

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