僕がいつも、大事な事は、自分の為に生きる事。。と言っています。。
えっ、人の為に生きることが善じゃないの?
そういう教育を受けてきました。。
今日、あるお客さんに、先生の話は、昔、私は、和多志。。と書いていた時代の話に似ています。。
というので、調べてみると、記事を見つけました。。
引用。。
「和多志」って、どういう意味ですか⁉️
と尋ねられました🤗✨
「私」という漢字のつくりは
のぎへんにカタカナのムで構成されています。
もともとは「和多志」と書いていたそうです。
わたしとは
全体の中の一人であり、全体の中に個(自分)が存在するという意味です。
禾(のぎへん)には実る、収穫という意味合いがあります。
ム(無)はもうない、亡くなった、存在しないという意味です。
つまり「私」という漢字を通して、
「わたしってダメな何も得るものがない存在なんで〜す」と
長年言い続けて染み込ませていたんですね🤣💦
✨日本人が考えた漢字の一文字一文字には深い意味が伴っています。
引用終わり。。
私の言う、自分の為に生きる、。人の為に生きるのは偽者だ。。というのは、私は、和多志です。。
和多志の為に生きる。。イコール。。全体の中の個として生きる、。という事、。
魂次元では。皆そうなのです。。
肉体次元では、他人と、自分を分離して見るため、人の為。。という概念が生まれます。。
しかし、人の為と言えば言うほど、自他を分離し、横取り合いが始まるのです。。。
和多志達は、大海の一雫です。。
大海そのものでもあるのです。。
全体は個であり、個は全体です。。
それを言いたいのです。。