昭和時代の僕らにとって、壁にぶつかると、それを乗り越えるものだと思って疑わなかった。。大人も子供にこう言うのが当たり前だった。。「神様は乗り越えられない試練を与えない」と。。
ライオンが🦁ライオンの赤ちゃんを崖から落として、自分で上がって来る自立性を養うように、神様が、自分を鍛えようと、試練を与えてくれているのだ。。と、無理やり思い込み、コンクリートでできたそびえたつ壁を、力ずくで乗り越えようとしたし、乗り越える事ができた時代です。
昭和生まれの人にとっては、今だに、壁は乗り越えるものだと言われて違和感がないのだと思います。
乗り越えないといけない壁だからこそ、逃げてはいけない。。という思考に繋がります。。
最近は、引きこもる子が多く、そういう子には、逃げてもいいんだよ!
と、言う大人が増えてきましたが、逃げずに、壁を乗り越えてきた優秀?な、大人には、逃げていいよ!と、心の底から思えないものがあるはずです。
しかし、最近の現代人は、そうは捉えていません。。
まず、昭和時代の人の我慢できる体と、現代の我慢が苦手なアレルギーの過敏な体では、我慢して、逃げずに向き合い、力ずくで乗り越える事ができないのです。。
そこを大人は理解する必要があるのです。
それに、昭和の時代の、自分に降りかかる壁は、頑張りや努力で乗り越えられる様な単純な壁だったとも言えます。
しかし、現代の複雑化してスピードの速い時代。。壁に向き合い、逃げずに乗り越えられない複雑な壁になっているのです。
ですから最近の子供が壁にぶつかった時、親は、壁は乗り越えるもの。。逃げずに向き合え。。という指導はしてはならないのです。
それをすれば、逃げ場がなくなる。。だから引きこもるのです。
そもそも壁とは、神様が与えた試練ではありません。。
壁とは自分の影であり、自分が作り出した妄想です。自分が自分に与えた問い、クイズなのです。
壁とは、自分の囚われ、執着、歪んだ固定概念が生んだ妄想、幻覚です。
私達は、物事をいい事、悪いことに分けて見る癖がついていて、都合の良い方しか見ない、
都合のいい事を幸福と考えている為、逆に、同時に都合の悪い事を不幸と考える為、都合の悪い方は見ない。。見ない様にしている。。見たくないものだからです。
例えば、家の中の自分のいつも居る部屋周りだけは綺麗にしている。。とします。
そこだけを見ていれば気分がいい。
しかし、実は押し入れの中や、他の部屋はゴミだらけ、掃除もしていないとすると、押し入れを開けなければ、嫌な現実と向き合わなくていい。。
それを続けていくと、自分の都合の悪いことは見えんなくなるんです。
物事を、片目で見ているんですね!
右目だけで物事を見ていれば、いい気分であり、心が動かない。。
しかし左目で見ると、汚い部屋を、認めて受け入れて、掃除を始めないといけない。。
だから見ない、見ない様にしている。。そして見えなくなる。。
左目の失明です。
それで、それじゃダメだろ。。と、自分の本体である魂が、肉体に付随したココロ、欲望心が、暴走して、物事の片側しか見ない生き方を、修正しようと、壁を引き寄せ、左目でよく現実を見て、認めて受け入れてみなさい。と、押し入れの中を見ざるおえない出来事を引き寄せるのです。壁を引き寄せてくるのです。。
壁とは、自分が見たくない、都合の悪い現実なのです。
その壁を力ずくで乗り越えるのは、実は間違いであり、自分が見て見ぬふりしてきた、自分に都合の悪い現実、それを目前に突きつけられ、それを力で乗り越えられない現代の子達は逃げるしかないのです
それが引きこもりが増えた理由です。。
でも、僕はいつも言うんです。
壁は乗り越えるものではなく、受け入れるもの、認めるものだよ。。
自分に都合の悪い現実を、見た時、明らめが出るでしょ、
押し入れの中はこんなに汚いんだなあ。。いい加減に掃除するしかないか。。と。
じゃあどうやって掃除しようか🧹と。。新しい行動が起きる。。
明らめると目が開くんです。それが開眼です。
開眼するには、明らめが必要。
明らめるには、都合の悪いことを受け入れればいい。認めればいいだけ。。
自分が両目で、都合のいいことも、都合の悪い事も、共に区別なく、自分に必要な経験なんだ。。と、認めて受け入れる。そうすると、物事を二つに分けて見る癖👀、自分の都合というものが消える。。
都合が消えれば、壁も消える
その時、壁も消えるのです。壁とは、自分の作り出した自分勝手な都合。。だったのです。
片目で見れば行き止まりでも、両目で見れば、壁は消え、新しい道が開くのです。
壁は乗り越えてはいけない。。
乗り越えたら気づきがありません。。
壁は消すものです。
クイズに答える度に、扉が開く🚪のです。クイズに答える事。。それが気づきです。
明らめると、気づきがある。。気づけば壁が消えて道が開く。。
本当はこれが正解。。
逃げてもいいんです。
逃げても気付けばいいんです。
逃げない事で、乗り越えて、気づきがない方がまずいのです。
逃げた事で気づく事もあるのです。
逃げたというより、離れたと考えればいいです。
夫婦喧嘩も、距離を空けて、別居して気づく事もあるでしょう?
あれと同じです。
離れることで、距離を空ける事で気づく事もある。
壁から逃げない事が、向き合うのではありません。