心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

辛い時は、諸行無常と唱えると楽

人が辛いと思う時とは?

それの一番は、あったものが無くなる時、無くなるんではないか?と、想像した時、不安になった時です。。

私達は、素敵な女性💓と出会い、お友達から恋人へと。。そして恋人時代。。

楽しくて嬉しくて、愛おしくてたまらない。。

しかし、その楽しさは続かない事も知っていますよね?

それを、元のいい状態に戻そうとする。。相手の気持ちを試したくなる。。

しかし、ほとんどの場合。。一度離れた気持ちは.元に戻ることがなく、別れる事を決断せざる負えない時期が来ます。。

そして失恋💔。。昔は、失恋した女性は、髪を切ったりしたもんですが、今は、全然関係ない様です。。

昭和生まれの男性は、若い女性が.ばっさり髪を切ると、失恋💔したのか?。。と、勘ぐってしまいますが、今の若い子の間で、その習慣は無いらしい。。z^ - ^。。

 

しかし、仏教では諸行無常と言います。

下に引用した説明文がありますが、僕なりの例え話をして見ましょう。。

 

現世(うつしよ)という言葉を聞いた事がありますか?

この世の現象とは、霊界の現世(うつしよ)だというのです。

 

言い換えれば、霊界で回っている映写機📽️の光が、スクリーンに映し出されたもの。。

それが、私達が、毎日見ている現象です。。

言い換えれば、スクリーンに映し出される映像は、フィルム🎞️の一コマ一コマが、あらかじめ決められていて、それを高速で回すと、動いている様に見える。。その映像が実在しているように見えて、感情移入してしまう。。

昔は、高倉健さんの映画を見て、映画館から出てくる時、皆、高倉健になって出てくるさまは、面白くて眺めていました。。

 

私達の毎日も、それと同様です。映画は、あらかじめ霊界で撮影された一本のストーリーです。。それは言い換えれば、私達1人1人の運命というストーリー。。世界の歴史というストーリーです。

1本、まるまる見る事で、何かに気づけるように仕向けられた映画を、私達は毎日見せられていると言っていいでしょう。。

その映画の中には、感動する良いシーンがあったり、怒りが増すシーン。。涙を誘うシーンがあるでしょう。。

しかし、一本見終わると、監督が何を伝えたかったのか? 一つのテーマが見えてくる。。

最近の新海監督の映画はそうですね。。

私達に起きている目に見える出来事。。それは映画のスクリーンに映し出される映画と同様です。

現れては消え、現れては消えの連続であり、そこに固定されたものではありません。。

 

雲☁️が鳥の形をしていた。。それはいろんな条件が重なり(縁)、一時的に鳥の🦆形をしただけで、その条件、縁が変われば、鳥の形は崩れ、ただの雲☁️になります。。

私達の見ている現象界に執着しなさんな。。という事です。

それは在る様に見えて無い物。。

無い物を在ると勘違いして執着しようとするから苦しみがあるのですよ!

と、お釈迦さんは、無情を知る事で菩提心を知りなさい。。と言うのです。

雨が降らなきゃ、虹は🌈立たない。。

目に見える良い事、悪い事とは、人間の肉体に都合の良いこと悪い事でしかないのです。。天気でいう、晴れと🌞雨の☂️様な相対的関係です。

晴れがいいなあと言ってもいつまでも晴れではない。。雨は嫌だなあ☔️。。と、思っても、いつまでも雨ではないのです。。

天気だって、諸行無常です。

いろんな縁という条件が重なり、常に変化して、雨になったり、晴れに☀️なったり、嵐になったりする。。

だからこそ連続して存続できるのです。

 

しかし、晴れがいいなあ。。雨、嵐は嫌だなあ。。と、晴れに執着したって仕方ない。。

地球🌏くんからしたら、地球の環境恒常性を保つ為にしている事。。

 

もし、この様に天気が、嵐や雷での放電、台風🌀を起こさなければ、きっと、とっくの昔に地球は、人が住めない星になっているんです。

 

そう考えれば、そうか、雨も台風もありがとうなんだな。。

そういう、全体を見た幸福、菩提心が見えてくるのです。

 

いい事は続きません。。悪い事も続きません。。

それは、天気と同様です。

 

しかし、良い事も悪い事も含めて、実はありがとうなんじゃないか?

と、思えた時が菩提心に気づいた時であり、諸行無常に気づいた時です。

私達は目に見える良い事を常に求め、手に入れようとする。。多くの場合、人との比較による、量ですね。。

お金が儲かる。。人よりいい生活が送れる。。

いつも、人と比較した優位的量的幸福です。

 

しかし、気まぐれ天気と同様です、時代も諸行無常です。変化し続けるのです。

手に入れた栄光や、量的幸福も、条件が変われば一気に無くなる、.消えてしまうものです。

 

そんな時、諸行無常。。諸行無常。。と、唱えると、そうか、元々無い物じゃないか。。

無い物が無くなっただけ。。夢を😴見たんだな。。楽しい夢だった😀。。

 

これからは、量的幸福では無くて、量は少なくとも、元々与えられた質的幸福。。菩提心の方を見て生きていこう。。人との比較は無意味だなあ。。

あの人の幸福と僕の幸福は違うし、互いに尊重されるものだね。。

そう思えるのです。

自分の質を知る事、、

それが足るを知る。。知足の本当の意味だと思うんです。

節約思考ではないんです。

 

本当の菩提心を知れば、量など要らないという事に気づく。。

 

 

諸行無常
しょぎょうむじょう
諸行無常は、仏教用語で、この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。
「諸行」とは因縁によって起こるこの世の現象を指し、「無常」とは一切は常に変化し、不変のものはないという意味。