心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

仏教解釈 22 鳳凰雲を追いかけるな

私達は、落ち込みます。。

何故落ち込むか?というと、。良い時期があったからです、。

 

良い時期あったから、それと比較して、今を嘆く、落ち込むのです。。

苦しみとは常に比較です。

これは、良い時期への執着、囚われなんです。。

 

良い時期とは、意識できる幸福。。

しかし、その幸福とは、偶然鳥の形になった。。雲の☁️ごとくです。。

下の写真を、鳳凰雲と言い、縁起が良いと言われます。。

 

流れ星🌠に近いですね。。

流れ星🌠も、鳳凰雲も、期待して現れるものでもなければ、努力すれば見られるものでもないのです。。

 

しかし人間は、一度見た鳳凰雲に依存し、期待し、流れ星🌠を期待して、空を眺めてしまうんです。。

プロ野球で、普段ホームランを打たないバッターが、たまたまホームランを打った。。

その快感に依存し、常にホームランを狙うバッティングになり、ホームを崩し、スランプになる選手が多いのだ。。と、故人、野村克也監督が言っていました。。

また、鳳凰雲が⛈️が現れないかなあ。。また流れ星が流れないかなあ。。

 

良い時期とはホームランの様なもの。。

狙うとバッティングを崩し、自分を見失うのです。

 

良い時期に執着して、良い時期に戻したいと、良い時期と今を比較して、落ち込む姿は、鳳凰雲を期待して空を眺めている姿に似ています。。

ホームランを狙う打席に似ています。

 

良い時期とは、現れては消える鳳凰雲の様な幸福です。。

期待しても現れないが、期待していないのに現れる。。

ならば、現れた瞬間を楽しめば良いし、。それが消えたのであれば。。日常に戻る事です。。

良い時期が日常では無いのです。。

良い時期だと、意識的に感じられる幸福は、現れては消える、諸行無常な幸福です。。

それを追いかければ、落ち込みます。。

一喜一憂してしまうんです。

 

そこに真の幸福があるのでは無いのです。。

空を眺めていても、鳳凰雲は現れません。。

それを嘆いても仕方ない。。

 

しかし、空は綺麗だし、朝は必ず来るし、空気は常にあるのです。。

1日の内、意識されない当たり前の日常の中に、実はありがとうは、いっぱいあるのです。。

真の幸福は、鳳凰雲⛈️にあるのでは無いのです。。

空を眺めている今、

上を眺める事をやめ、足元を見れば、地球に生かされている自分の気づき。。

重力がある幸福、重力に生かされている幸福を感じるでしょう。。

 

仏教では、真の幸福は近すぎて見えない。。と言います。。

私達は、遠くに幸福はあると思うんです。

努力や頑張りの末に、結果として幸福があると。。

 

遠くばかりを眺めて妄想し、足元に咲く花🌸命に気づかず、踏みつけているのです。

ゆったり呼吸をしてみてください。。

落ち込んでいる場合じゃ無い。。

良かった時期は、鳳凰雲☁️を見たにすぎない。。

鳳凰雲を見れた。。その事にありがとう😭で良いんです。。

鳳凰雲は、風が吹けば崩れる。。

儚い幸福なのです。。

真の幸福は、掴むものでも、努力の末にある達成感でもないのです。。

意識されない時間の中に、いっぱいありがとうはある。。

仏教でありがとうとは、有難たい。。ある事が難しいと書きます。。

今、生きている事が、自分を生かしてくれている力、他力がなければ、ありがたい。。つまり難しい事なんです。。

そこに気づいた分、永遠の幸福が増幅していくのです。

幸福は特別なものじゃない。。

いつでもある。。しかし近すぎて見えないのです。。

目的の為に生きているから、。目的しか見えていないんです。。

老子さんの無為にして為せ。。

と言う言葉は、目的や目標を捨てて、今、生かされているがまま生きれば良いんだ。。

それが自然であり、幸福なんだ。。

仏教では、無為自然と言います。。

為に生きなさんな。。無為で生きなさい。。

そうすれば、自分は最初から幸福ですあったと、気づくでしょう。。