今、病院で問題視されているのは、検査で、次から次へと陽性反応が出る患者さんを、発表されても、治療できる体制が足りない。。という事。
これは、検査と、治療は別の物。。という現代の医療界の仕組み。。また治療という事に対する考え方に問題がある訳です。。
検査と、治療は別。という事は常識だと思われていますが、気の治療ができる人達
民間の治療家にとっては、検査と治療は同時なのです。。
当院で、整体を受けた方は、解ると思いますが、1時間ずっと検査していますね!
検査しながら治療もしているわけですが。。
気で検査するとは、お客さんの身体の中に無数にある音叉を、私の中にある無数の音叉を一つ一つ鳴らして共鳴、共振するか検査しているのです。
ピアノの調律師もそうですね。。
調律が正しければ、音叉を叩けば、対応するピアノの弦が、共振しますが、間違っていれば共振しない。。
それで、共振する様に、調整して行くのです。。
ピアノの調律は、人間が、ネジを締めたり、緩めたりしないと治りませんが、人間の身体は、
共振しない場合でも、共振しないと認識した身体が、自分で、共振するように、身体を変えるのです。。
だから、当院のお客さんは、経験した事があると思いますが、最初、立った状態で、タッピングして検査している途中から、身体がポカポカしてきて、回らなかったはずの首が回るようになってびっくりしたりします。。
音叉を鳴らして行くだけで、身体は、よく鳴る所と、鳴らない所を、みずから認識し、治癒力が、全体をバランス良く鳴るように、自ら変化させていくのです。。
そして、動き出して、治そうとする働きを、後押し、お手伝いする。。という事をしているのです。。
だから、毎回最初に、細かくタッピング検査しますが、実はあの過程が一番大事だから、はしょれないのです。。
なんで、毎回検査するんだろう? と、感じているお客さんもいるでしょう。。
検査が治療の呼び水になっているのです。。
これが気の治療です。。
検査と治療が別だというのは、対処療法なのです。。
対処療法と、原因療法何が違うのか? と言えば、検査と治療が別である療法は、症状取りしかできません。。何故かと言えば、生命同士の関わりが切れるからです。
合気道など経験ある人はわかる感覚です。
繋がりが切れる。。一体感が切れる。。これは、合気、 気が合う状態が切れるということです。物と物の関係になってしまうのです。
検査と治療は同時。。だという認識が、常識になるにつれ、病気という概念は減って行くと思われます。