神社とは、都会の中に残る森であり、オアシスです。。
非日常空間でもある為、過呼吸気味の人にとっては、一種の現実から離れられる、楽な場所ですね!
過呼吸気味の人は、お寺や神社に行くといいです。。
ただ、お寺や神社は、最も、人がお願い事をする場所です。。
お賽銭払って、お願い事をするわけですよね!
それは、念なんです。。
ですから、神社は念の籠った場所でもあり、そして、その念と共鳴しやすい、低次元の霊も沢山いるのです。。
お願い事をする。。というのは、実は低次元な行為なのです。。
正月、神社でお願い事をする行為は、他人の家族はどうでもいいですけど、わたし、私達、私の子供だけは、いい事だけ起こる様にお願いします。。
と言っているのですから。。
欲望なんですね!
神様が、お賽銭を払えば、自分に都合のいい人生を用意してくれる。。としたら、地球の秩序は無茶苦茶です。。
そうではないのです。。良い事も、悪い事も含めて、前世からの因縁で、どうしても現す必要のある出来事を起こしながら、因縁を消していく。。
病気、症状もそうです。
病気という形で表しながら、過去世からの因縁を消して、魂を浄化しているのです。。
ですから、病気にすら、ありがとうと言える境地が、悟りです。。
そういう神仏の健気な働きを知れば、お賽銭払って、自分に都合のいいお願い事をする事が、間違いだと解ります。。
そういう欲望に満ちたお願い事を、神社で行えば、その欲望の波動と共鳴しやすい、成仏できてない霊や。動物霊に、憑依、支配されてしまうのです。。
そういう人が、よく、霊能力を用いて、人の未来を予言して、お金儲けしています。。
それは、低次元のイタズラ霊に遊ばれているのです。。
ですから、神社に行ったら、調子悪くなった。。というお客さんに、貴方はお願い事をしましたね!
と聞くのです。。
僕の場合は、例えば初詣であれば、「去年はありがとうございました。今年も宜しくお願いします。。お任せ致します」
これだけです。。
これは神仏と一つになる祈りです。。祈りにはイタズラ霊は、共鳴できないのです。
自分に起こる出来事は全て、自分の魂の浄化に必要な出来事です。。
だからこそ、大きな法則に身を委ね、受け入れ、感謝しながら、毎日を、一所懸命で、努力精進していけばいいのです。。