努力は報われる。。よく使われる言葉ですね。。
最近も、ある水泳選手が、インタビューで答えていました。。
でも、僕はこの言葉が嫌いなんです。。
言い換えれば報われる為に努力している。。という事でしょう?
僕の小学生の頃の話をさせてください。。
僕が小学校4年生の頃、陸上の低学年リレーの選手の候補として、練習に呼ばれました。。
担任の先生が、陸上部の顧問だった事もあり、クラスで一番足が早かった僕を、リレーの選手にしたい。。という心もあったと思います。。
4人だけ選ばれる為に、練習と、計測の連続。。振り落としです。
僕は、当時、その時は、4人に入りたかった。。という事で、生まれて初めて努力した経験です。。
4人に選ばれた僕は、努力が報われた。。と、思った記憶があります。。
その後も、市の大会で、優勝する事を目標に、4人で、小学生では多分あり得ないぐらいの練習をしたと思います。
なにせ、陸上の顧問の先生は、何年も連続して、その小学校を、陸上と、ソフトボールで優勝を重ねていた先生でしたから。。
そして、やはり努力が報われて、優勝です。。
確かに、努力は報われるのです。。才能があれば。。才能があるから努力できる訳ですし。。
でも、5年生になると、陸上部にいても、6年生を、抜かさないと、出れる種目がない。。
僕は、一番確率が高い、幅跳びに転向したのですが、それでも6年生と、圧倒的に実力に違いがあり、諦めました。。
リレーを一緒に走った、他の3人は、努力しても報われないなら、練習しても無駄だと。。
来なくなってしまいました。。
努力は報われる。。この思考の悪い面です。。デメリットです。
報われない事を悟った瞬間に、やる気がなくなるという事です。。
最近の若者の虚無感もそこにあるのです。。
頑張っても報われないと思っているから、やる気も出ないのです。。
この思考が間違いです。
僕は、今年は何も出れない。。と、悟りましたが、既に陸上が好きになっていました。。
毎日練習に出て、少しづつでも、早く走れたり、遠くに飛べたりする。。とても愉しい。。
僕は、報われる為の陸上の練習から。。好きだから、愉しいからやってる陸上に切り替えたのです。。
報われる為の陸上のままだったら、僕も他の3人と同様に、来なくなり、6年になったらまた頑張ろう。。と、思ったでしょう。。
陸上の顧問の先生。。5年の時は担任では無くなっていましたが、母親が、何かの用事で、小学校に行った時、その先生と、ばったり会って、こう言われたそうです。。
「あきらくんは、去年は、俺は練習なんかしなくても、選手になれるわ。。という態度でしたが、今年は、何も出れない事をわかっているのに、毎日練習に来て、少しでも早くなりたい。と、陸上を楽しんでいるし、むしろ去年より真面目に取り組んでいる。。人間らしさが出てきましたよ。」
と、言われたという話を聞いて、嬉しかったのをよく覚えています。。
僕自身。5年の時の自分の方が好きだし、次元が高かったと思います。。
報われる為の手段としての陸上ではない。。
陸上そのものが、走る事そのものが楽しいのです。。
陸上を愛しているのです。
そういう人にとって、報われる報われないは。さほど問題じゃない。。
努力が報われない。。それでも愉しい。。だからやり続ける。。やり続けたい。。
この境地の方が、人として次元が上です。。
また、そういう人が多い世の中の方が、いい世の中です。
テレビのヒーローは、努力が報われる才能がある人です、。
殆どの人は、努力が報われず終わるのです。。
そういう人達にとって、努力は報われる。。という言葉は、お前は頑張らなかったから、報われないのだ。。と、責められているようにも聞こえるのです。