心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

人生は決まっているのか?

人生は、自分で切り開いていくものでしょうか?

それとも、最初から決まっているのでしょうか?

 

仏教的に言えば、人生の台本はあらかじめ決まっています。。

そう言う意味では、人生は生まれた時から決まっている。。

 

しかし、その台本そのものが変化する事もある。。

例えば、一時期大騒ぎしたアルマゲドン。。

ノストラダムスと言う予言者が、2000年付近で🌏は滅びる。。と、言われて、よく当たる人だったので、多くの人が信じて、そのアルマゲドンで生き残る為に、宗教に入る。。

そう言う人が多かったんです。

でもアルマゲドンは起きなかった。。

 

これは、ノストラダムスが予言を外したのではなく、ノストラダムスが予言した時点では、地球の🌏台本は、滅びる事になっていた。。

しかし、滅びる必要性が無くなった為、台本そのものが変更された。。という事です。

私達の運命という台本は、その台本が必要だからあるんです。

決まってる台本を生きるのはつまらない?

では無いのです。

台本通りの運命を生きる事でしか、気付けないことがある。。

しかし、気づいてしまえば、その台本はもう不要です。。

だから不要な台本は、変更されるのです。

 

台本通りに生きることでしか気づけない事。。

それはなんでしょうか?

それは、諸行無常で、煩悩即菩提という事です。

私達人間は、目に見える世界に囚われ、目に見える世界の法則に囚われ生きています。。

 

しかし、私達は、魂が服を着て、肉体次元。。時間と距離の世界に生きているだけです。

魂の世界の法則には時間や距離がありません。。

つまり、過去や未来がなく、今しかないのです。

過去も未来も、魂の世界では今ここ。。です。。

つまり、人生が決まっていようが決まっていなかろうが、関係なく、今、ここを楽しめるのです。

例えば、目に見える世界。。時間と距離の世界での法則は、科学という法則で説明できます。

りんご🍎を手に持ち、手を放せばりんごは🍎落ちる。。

何秒で落ち、何処に落ちるか?まで予測計算できる。。

これが因果の法則。。

私達は。目に見える世界の法則、因果の法則に囚われすぎているのです。

だから努力すれば報われると信じて、努力して頑張るのです。

 

それで確かに、勉強すれば成績は上がるし、練習すればスポーツは上手になるでしょう。。

 

この法則に囚われると、頑張ったから結果が出たのだ。。

逆に、結果が出なかったやつは、頑張らなかったからだと、烙印を押されてしまいます。。

とても理不尽です。

 

よく大人が、子供に、頑張ればできるよ!。。と、励ます事があるが、それは同時に、頑張らないからできないんだ。。と、脅迫してるのと同じです。

だから結果を出せない子は、居場所がなくなり引きこもるのです。

結果を出さない奴は、頑張っていないだらしない奴。。と評価されるから。。

 

でも、この因果の法則、肉体次元の法則に囚われ生きている。。

 

皆さんはこういう体験もした事があるはずです。

 

努力したが報われない事がある事。。そして逆に、努力した覚えもないが、なんだが良い結果が舞い込んできた。。これは運が良かったのか?

この様に、因果の法則以外の法則が働いているんじゃ無いか?

そう感じる出来事も確かにあるのです。

 

それは、因果の法則の、もう一段上にある。。因縁果の法則です。

因縁果の法則は、りんごが落ちる因果の法則と違い、葉っぱが🌿落ちる事で説明しましょう。。

葉っぱを手に持ち、手を放すと、葉っぱはヒラヒラと落ちていきます。。

しかし、葉っぱは風という縁を受け止め、左右に揺れながら、違うところに落ちます。

これは人間値では予測不可能です。

プロ野球の⚾️ピッチャーの投げるボール⚾️にも、ナックルボール。。という球種があり、これは、ピッチャーがボールを無回転で投げる事で、葉っぱの様に風の抵抗を受け、風の赴くままに変化する為、投げたピッチャーも何処にいくかわからない。。キャチャーも分からないからよくエラーするんです。

当然バッターは打てない。。メジャーリーグで、ゴジラ松井は、このナックルボールが苦手でしたね。

人生は、因果の法則より高次元な、因縁果の法則が優先しているのです。

だから、「いつもそうとは限りませんよ!」

という名言が生まれるんです。

 

そういう台本を通じて、人生とは因果の法則では無いんだ。

因縁果の法則。。つまり、葉っぱが落ちる様に、予測不能なんだ。。

しかし、人間が予測できないだけで、予測不能な風の揺らぎという法則には、沿って落ちているのです。

法則通りです。

 

この因縁果の法則が見えてくると、努力は報われることもあるし、報われない事もある。。

その程度のもの。。

しかし、それも含めて、私たちは、風という縁に触れて、自由自在に風に吹かれて生きているのである。。風任せ。。こそ、生かされている喜びである。

と気づくのです。

 

仏教で一番有名な言葉。。諸行無常とは、一言で言えば、いつもそうとは限りませんよ!

そんな事に執着するのをやめて、風の赴くままに自由自在に風に乗りなさい。

ヒラヒラと風に乗り、舞っているときこそ、地球の🌏法則に生かされ、一つの呼吸をしている瞬間。。煩悩即菩提です。

と、気づいて、脱力するのです。

執着を放すのです。

 

タンポポが風に乗り、場所を移動して、また来年咲く様は、生命の神秘です。

風任せこそ、生命の幸福なのです。

 

そして結果の為に生きる事をやめ、今を生きることこそ。

と、生き方が変わるのです。

予測不能な未来を、自分の思い通りにしようと執着するから、苦しみがあるのです。

運命という台本は、予測不能だが、法則通りに生かされているから大丈夫🙆‍♀️だよ👌。。に気づく台本なのです。

そこに気づけば、それに気づかせる為の、運命、台本は不要となり、変更されるのです。